もうすっかり疲れ切ってしまって走れません from 『孤高のランナー 円谷幸吉物語』

書評

1月9日は、円谷幸吉さんの命日。

円谷さんといえば、1960年代に活躍した日本の長距離ランナーで、1964年の東京オリンピックでは男子マラソン銅メダルに輝き、一躍有名になりました。しかしその後、ケガや故障に悩まされ、1968年に「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」という言葉を残してこの世を去ってしまいます。

今日は、そんな円谷さんの伝記『孤高のランナー 円谷幸吉物語』を手に取りました。著者は、朝日新聞社のスポーツ記者だった青山一郎氏。円谷さんが学生のころから取材を続け、円谷さんの死後に本書を出版しています。

国立競技場でのラストスパート

円谷さんはもともと駅伝やトラックを得意とする選手で、1964年の東京オリンピックには10,000メートルの代表選手に選ばれていました。一方、男子マラソンの選考会でも君原健二さんに次ぐ好記録を残し、マラソンでも代表選手に選ばれました。

男子マラソンでは、当時の圧倒的王者アベベ・ビキ゚ラとともにスタートを切り、2位でゴールの国立競技場に入ります。しかし、ラストスパートで後ろから追い上げてきたベイジル・ヒートリーに抜かれてしまい、わずか3秒差で銀メダルを逃してしまいました。

青山氏は、マラソンの経験値の差が結果に表れたと分析しています。

ヒートリーは世界的なランナー。この幸吉の追走を読んで、再度のスパート。幸吉の逆転を断ち切る巧妙な、そして頭脳的なスパートであった。マラソンレースの経験の浅い幸吉は、こうした駆け引きを読み切れなかった。

銅メダルの重みとコーチとの決別

『孤高のランナー 円谷幸吉物語』を読んで、2つの発見がありました。

ひとつは、円谷さんがラストスパートに強いと定評のあった選手だったこと。オリンピック選考会の「毎日マラソン」では、最後まで粘り強い走りを見せ、マラソン2回目で2位に躍り出るという大番狂わせを演じました。にもかかわらず、国立競技場で最後にヒートリーに抜かれてしまったことは、二重の意味で円谷さんに重い影を残したのだと思います。

もうひとつは、東京オリンピックの後に訪れた試練の数々。

  • 恋人との婚約の破断
  • 持病の椎間板ヘルニアが再発
  • アキレス腱の故障と手術
  • 信頼できる畠野コーチとの別れ

これだけの試練が同時に訪れたら、誰でも音を上げると思います。中でも畠野コーチとの決別は、円谷さんにマラソン人生で初めての「孤独」をもたらします。

幸吉は畠野に手紙を書いた。その終わりにこう付け加えた。「教官がいなくなって、自分を本当に指導し、叱ってくれる人がいなくなりました。これはとても寂しいことです。教官のように叱ってくれる人が欲しいんです」

走る鬼の幸吉とて人間だ。苦境のどん底にある時、自分を救ってくれる人をさがし求めた。藁にもすがりたい気持ちだったに違いない。

次は金メダルか

一方、国民は1968年のメキシコオリンピックに向けて「次は金メダルか?」と円谷さんの活躍を期待するわけです。東京オリンピックで男子マラソン2連覇を果たしたあのアベベも「次のオリンピックでは円谷が有力な優勝候補」と評するので、マスコミも注目せざるを得ないですし、国民の期待値もあがる一方です。

レースに出ても思うような結果が残せず、途中で棄権したり、新人ランナーに惨敗したり。かといって、あっさり引退するわけにもいかず、円谷さんはどんどん追い込まれていきます。。。

まとめ

2020年の東京オリンピックの影響なのか、最近「円谷幸吉」の名前を目にする機会が増えました。本書は、初版が1980年とかなり古い本ですが、「ランナー円谷幸吉」を知るための優れた入門書です。

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