中山道を走る旅:安中→松井田→坂本→軽井沢→沓掛

中山道を走る旅:安中→松井田→坂本→軽井沢→沓掛|ともらん

東京から京都まで「中山道」歴史街道を走って旅する企画。今回は、中山道15番目の宿場町「安中」から、19番目の宿場町「沓掛」まで、日帰りで 23kmの道のりを走りました。
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旅のハイライトは「碓氷峠越え」。

中山道を走る旅

今回の旅ランでは、中山道15番目の宿場町「安中」から、19番目の宿場町「沓掛」まで、日帰りで 33kmの道のりを走りました。

  • 出発:安中宿(群馬県安中市)
  • 終着:沓掛宿(長野県北佐久郡軽井沢町中軽井沢)
  • 走行距離:33.0km
  • 所要時間:約6時間

スタート地点の安中宿(あんなかしゅく)は、現在のJR安中駅が最寄駅。大宮駅→高崎駅まで北陸新幹線で向かい、高崎駅→安中駅は信越本線で移動しました。

ゴール地点の沓掛宿(くつかけしゅく)は、現在の中軽井沢駅の目の前。軽井沢の名湯「トンボの湯」の最寄駅でもあります。走った後は「トンボの湯」に浸かり、軽井沢駅からは北陸新幹線に乗って戻りました。

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それでは早速、旅ランの様子をお届けします!

中山道15番目の宿場町「安中」

朝8時にJR安中駅に到着。

ホームに降りるとまず目に入るのが、山の斜面を這うように建てられた工場。こちらは日本を代表する非鉄金属メーカー「東邦亜鉛株式会社」の安中精錬所です。

東邦亜鉛株式会社の安中精錬所
東邦亜鉛株式会社の安中精錬所

荷物をまとめて、国道18号沿いの歩道を走り始めます。

碓氷川を渡った先で脇道(県道125号)へ。しばらくすると、かつて安中宿があったエリアに入ります。

安中藩3万石の城下町で上位段丘に安中城、下位段丘に安中宿があった。城近くの大名小路に、武家屋敷が残る。宿から西に700本余りの杉並木があったが、今は10数本にまで減少する。ーー『中山道69次を歩く』より引用

安中宿周辺には、江戸〜明治時代の面影を残す観光名所がたくさんあります。

旧碓氷郡役所

まずは、旧中山道から100メートルほど坂を上ったところにある旧碓氷郡役所に立ち寄りました。この地はもともと安中藩の管轄でしたが、廃藩置県とともに碓氷郡となります。

旧碓氷郡役所
旧碓氷郡役所

明治11年(1878)7月22日、に郡区町村編成法が公布され、自治体としての町村が復活するとともに、郡も地理的名称から行政区となり、郡長が置かれることとなった。群馬県では17の郡が設置され、同年12月7日には11の郡役所が開設された。(現地案内板より)

安中藩武家長屋

旧中山道をさらに進むと、安中藩武家長屋がありました。

安中藩武家長屋
安中藩武家長屋

江戸時代、藩士が暮らしていた長屋を修理復元したものです。

この武家長屋は、安中藩では一般的な規模のもので、居住していた藩士も中位の身分の者たちでした。現存していたのは三軒分でしたが、古図面や建物に残された痕跡を元に、取り壊されていた東端の一軒分を新築し、建築当初の四軒長屋として修理復元し、平成四年から一般公開しています。(現地案内板より)

「安政遠足」

安中宿を走っていると、至るところで「日本マラソン発祥 安政遠足」と書かれたのぼりを目にします。

日本マラソン発祥 安政遠足
日本マラソン発祥 安政遠足

「あんせいえんそく」かと思ったら、「あんせいとおあし」と読むんですね。

安政遠足(あんせいとおあし)とは、1855年(安政2年)、安中藩主板倉勝明が藩士の鍛錬のため、藩士96人に安中城門から碓氷峠の熊野権現神社まで走らせた徒歩競走。(…)安政遠足は、日本におけるマラソンの発祥といわれ、安中城址には「安中藩安政遠足の碑」と「日本マラソン発祥の地」の石碑が建てられている。(ウィキペディアより)

安政城門から碓氷峠の熊野権現神社まで!?それって、ぼくが今走ろうとしているルートです。なんだか面白くなってきました!

新島襄旧邸

最後に「新島襄旧邸」に寄り道しました。新島襄は安中藩士の子として江戸に生まれ、21歳で渡米してキリスト教ととなります。帰国後は父母の住む安中に戻り、ここを拠点にキリスト教を伝導しました。

新島襄旧邸
新島襄旧邸

寄り道はこの辺にして、旧中山道(県道48号)をひたすら走り続けます。

旧街道沿いには、これでもか!というほ「安政遠足」ののぼりが立っています。ルートマップを確認しなくて済むので助かります。

安政遠足
安政遠足

安中原市の杉並木

しばらく走り続けると、「安中原市の杉並木」に差し掛かりました。見事な杉の大木が旧中山道沿いに立っています。江戸時代には700本を超す杉の木がズラッと並んでいたそうですが、ほとんどが枯死してしまい現在はわずか14本しか残っていません。

安中原市の杉並木
安中原市の杉並木

松井田まであと5.4キロ。まだまだですね!

中山道案内板
中山道案内板

ゆるやかな上り坂が続きます。後で安中宿〜松井田宿の走行データを確認したら、獲得高度が130mもありました。

松井田宿への上り坂
松井田宿への上り坂

国道18号と合流する交差点で「安政遠足」と書かれた看板を発見。ここから脇道に入り、急な下り坂を進んでいきます。坂を下るのはいいのですが、これってまた上るハメになるパターンでは…。

安政遠足の案内板
安政遠足の案内板

坂の下にはのどかな田園風景が広がります。農家の方が田植え作業を行っていました。

田植えの風景
田植えの風景

おっと、、「まむし出没注意」の看板発見。結局、急な坂を上って再び県道に戻りました。

「まむし出没注意」の看板
「まむし出没注意」の看板

次の宿場町「松井田宿」までもうすぐ。進行方向左手には「妙義山」が姿を現しました。

妙義山
妙義山

こちらは昭和3年(1928)創業の「女神インキ工業」さんの群馬工場。ものすごいインパクトのある名前ですね!

女神インキ工業
女神インキ工業

中山道16番目の宿場町「松井田」

安中宿から9.6km、中山道16番目の宿場町である松井田宿に到着しました。

かつてはお米の流通で栄えた宿場町です。

南に特異な姿を見せる妙義山、北に信州最大の山城・松井田城跡を控える。信州各藩の江戸廻米の中継地となり、米宿と呼ばれた。屋根に大仰な鬼瓦を載せた関東型商家の西限をなす。ーー『中山道69次を歩く』より引用

旧中山道沿いの「松井田商店街」を走り抜けます。

松井田商店街
松井田商店街

安中宿とは異なり、松井田宿では江戸時代の面影や史跡はほとんど見かけません。

唯一目を引いたが「安中市松井田商工会」の建物。帝冠様式の格調ある佇まいが印象にに残りました。

安中市松井田商工会
安中市松井田商工会

商店街から住宅街に入り、ゆるやかな上り坂をひたすら進んでいきます。

上り坂
上り坂

旧中山道沿いには、「道祖神」と書かれた石碑をよく目にします。こちらにも立派な石碑がありました。道祖神とは、わかりやすく言うと、交通安全のお守りですね。

道祖神(どうそじん、どうそしん)は、路傍の神である。集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されている。(ウィキペディアより)

道祖神
道祖神

JR信越本線の踏切を渡ります。踏切にはそれぞれ名前が付いていて、こちらは「第十中仙道踏切」です。

第十中仙道踏切
第十中仙道踏切

「安政遠足マラソン」

おっと、交通規制の案内です。「交通規制 5月14日 安政遠足マラソン」。安中宿から「安政遠足」の看板やのぼりを目印に走ってきましたが、なんと「安政遠足マラソン」のコース案内だったのですね。

「安政遠足マラソン」
「安政遠足マラソン」

安政遠足マラソン」は、毎年5月に、ここ日本マラソン発祥の地で開催されるマラソン大会です。安中城址(武家長屋)から碓氷峠の熊野神社までの28.97キロを走る「峠コース」と、安中城址から坂本宿までの20.15キロを走る「関所・坂本宿コース」があります。

五料の茶屋本陣・お西

しばらく田舎道を走り続けると「五料の茶屋本陣・お西」と書かれた看板を目にしました。旧中山道から歩いて100メートルほどのところに入り口があります。

こちらは五料の茶屋本陣・お西の建物。群馬県指定史跡でもあります。通常は有料ですが、受付に無料でお入り下さいと書いてありました。建物の中は歴史資料館となっており、5月人形や古地図、高札などが展示されていました。

五料の茶屋本陣・お西
五料の茶屋本陣・お西

江戸時代、五料の茶屋本陣・お西は旅人たちの休憩所だったそうです。

五料の茶屋本陣・お西は、江戸時代の名主屋敷であるとともに茶屋本陣でもありました。茶屋本陣は、中山道を参勤交代などで行き来する大名や公家などの休憩所としておかれたものです。ーー現地案内板より

中庭にはポットが置いてあり、「麦茶です ご自由にどうぞ」と書かれていました。ちゃんと紙コップもありました。時代は変わっても、今もなお「休憩所」として機能しているのですね。

休憩所
休憩所

その時、踏切の音が聞こえてきました。五料の茶屋本陣・お西の外に出ると、すぐ横を信越本線の車両が通過していきました。車両のデザインは緑とオレンジが基調のカラーです。高崎線や宇都宮線と同じですね。

信越本線
信越本線

空釜石

こちらは五料の茶屋本陣・お西の近くで見つけた「空釜石」というものです。巨石の上に小さな石が置いてありました。

空釜石
空釜石

この奇石はもと旧中山道九山坂の上にあったものです。たまたまここを通った()山人はこの石をたたいて珍しい音色に早速次の狂歌を作ったといいます。「五料(五両)ではあんまり高い(位置が高い)茶釜石 音打ち(値うち)をきいて通る旅人と」。この石はたたくと空の茶釜のような音がするのでその名がある。ーー現地案内板より

実際に叩いてみると、「コーン」と中で響くような音が出ました。

横川駅

再び線路を渡り、信越本線の終点横川駅を目指します。

横川駅へ
横川駅へ

横川駅の手前で「シュシュー」という爆音が聞こえてきました。驚いて駅のホームを見ると、ちょうどSL蒸気機関車が入ってきました。

SL蒸気機関車
SL蒸気機関車

横川駅に到着しました!ちょうど昼時なので、横川駅でランチ休憩をとることにしました。横川駅といえば、日本最古の駅弁「峠の釜飯」が有名です。先日も高崎駅で買って食べました。

関連記事:日本最古の駅弁「峠の釜飯」を食べた後に、空釜をどうするか悩んだ話

横川駅の目の前に「峠の釜飯」を製造・販売する「おぎのや」の本店がありました。せっかくなので本店の中で食べようかと思ったのですが、SL客で混雑していたのと、汗ビショビショの格好で中へ入るのは気が引けたので、駅前の売店で釜飯を買いました。

おぎのや
おぎのや

売店の横にあるテントで「峠の釜飯」とポカリスエットをいただきます。

駅前には登山電車の車輪が飾られていました。

全国JR路線のなかで最大の難所と言われた信越本線横川〜軽井沢間のシェルパとして平成9年9月30日まで活躍した「EF63-3号」機関車の車輪です。ーー現地案内板より

登山電車の車輪
登山電車の車輪

10分ほどで「峠の釜飯」を完食しました。前回同様、大変美味しくいただきました。本当はお腹が落ち着くまでしばらく休憩したほうが良いのですが、時間が勿体なので、ゆっくりと走り始めました。

碓氷関所

しばらく走り続けると、古ぼけた木造門の周りに人だかりを発見。

ここにはかつて「入鉄砲に出女」を取り締まるため、古くから「碓氷関所」が設けられていました。江戸時代の門は明治維新とともに取り壊されてしまいましたが、昭和34年に東大教授の藤島亥治郎博士によって復元されました。

碓氷関所
碓氷関所

碓氷関所を後にして、急勾配の薬師坂を上って坂本宿を目指します。

薬師坂
薬師坂

中山道17番目の宿場町「坂本」

松井田宿から9.5km、中山道17番目の宿場町である坂本宿に到着しました。

碓氷峠東麓の緩斜面に、幕命による計画的宿として誕生。直線街路と直角に、短冊形に整然と地割した上で、住民を呼び寄せた。英泉は刎石山と街道中央の宿場用水を写実的に描いた。ーー『中山道69次を歩く』より引用

坂本宿は今もなお宿場町らしさを残しています。

坂本宿
坂本宿

古い建物が数多く残っていますし、

坂本宿
坂本宿

それぞれの建物に江戸時代の「屋号」が掲げられています。例えば、こちらは坂本公民館の建物ですが、入口に「脇本陣 酒屋」と書かれた標識が掲げられています。

脇本陣 酒屋
脇本陣 酒屋

「坂本宿屋号一覧」の看板も見つけました。やはり碓氷峠という中山道最大の難所の麓ということで、江戸時代は旅人たちで相当賑わっていたみたいですね。

坂本宿屋号一覧
坂本宿屋号一覧

道路の左側には用水路があり、水が勢い良く流れています。江戸時代には、道幅が14.8メートルあった旧中山道の真ん中に、幅1.3メートルの用水路があったそうです。

碓氷峠を目指してゆるやかな坂を上っていきます。前方に見えるタンコブみたいな山、これから上ると思うと胃が痛くなりました。。大丈夫かな。。

碓氷峠
碓氷峠

八幡宮

峠を越える前に「八幡宮」で安全祈願のお参りをしてきました。

八幡宮
八幡宮

碓氷峠攻略

さて、ここからは国道18号を降りて、自動車も自転車も入れない登山道を走ります。途中で迷子にならないか心配でしたが、要所に「安政遠足」の案内板があって助かりました。

「安政遠足」の案内板
「安政遠足」の案内板

ここから熊野神社のある峠のてっぺんまで約9km。

中山道の案内板
中山道の案内板

見て下さい、この急斜面。最初は6分/kmぐらいのペースで頑張っていましたが、すぐに足がフラフラになり、途中から歩いてしまいました。特に最初のほうは傾斜があまりにもきつく、足場も悪いので歩きつづけることすら困難でした。

碓氷峠の急斜面
碓氷峠の急斜面

50m歩いては休み、また50m歩いて休み、の繰り返しです。

心臓が止まるかと思うほど苦しかったですが、途中でいろんな観光スポットがあるのでそれなりに楽しめました。こちらは「柱状摂理」と呼ばれるスポットで、火成岩が冷却した際に柱状の岩が出来たそうです。

柱状摂理
柱状摂理

こちらは「覗」と呼ばれるスポット。

坂本宿を見下ろせる場所で山梨の老木がある。一茶は「坂本や 袂の下の 夕ひばり」と詠んだーー現地案内板より

木の茂みの間に一本道が見えますかね。あれが先ほど走ってきた中山道の坂本宿です。

碓氷峠から坂本宿を見下ろす
碓氷峠から坂本宿を見下ろす

そしてこちらは「風穴」。溶岩の割れ目から水蒸気で湿った風が吹き出ているそうです。

風穴
風穴

しばらく急斜面が続いたので完全に心が折れかけていましたが、1kmほど進むと比較的平坦な道になりました。最初の難所はなんとかクリアできました。熊野神社まであと6.4km。

碓氷峠の山道
碓氷峠の山道

給水できずピンチ!?

しかし、ここで大変なことに気が付きます。5月初旬といえども今日は真夏日です。それなのに水分補給用のドリンクがあと100mlしか残っていません。。峠に入る前にペットボトルを一本買う予定でしたが、完全に忘れてました。

しかもこの感じだと、熊野神社まで自動販売機はもちろんのこと、水道すらなさそうです。。途中で脱水症状にでもなったらどうしよう。。

しばらく走ると、休憩所が見えました。残念ながら水飲み場はありませんでしたが、4人の外国人の方たちが休憩していました。

(ぼく) こんにちは!暑いですね。ここ、座ってもいいですか?

(外国人) もちろん!

(ぼく) 皆さんも峠の麓から軽井沢へ行くんですか?

(外国人) いや、その逆だよ。軽井沢から来て、もうすぐゴールの坂本だよ。それにしても君はなんで走ってるんだい?

(ぼく) それはもちろん、走るのが好きだからだよ。君たちはなんで歩いているんだい?

(外国人) えー、あー、歩くのが好きだからさ。そういえばさっきも走っている集団とすれ違ったけど、あれは君の仲間かい?

(ぼく) 違いますね。再来週ここでレースがあるので、その練習で走っている人たちじゃないかな。こんなところでレースなんて、ちょっとおかしいですよね。

(外国人)ああ、君のようにね。 

(ぼく) さて、そろそろ出発します。みなさんお元気で!

(外国人)ありがとう。そういえば水が余っているけど、よかったらあげましょうか?

(ぼく) え!?そんな申し訳ない、、え!?でも、こんなお願いをして申し訳ないけど、ほんのすこしだけ分けてもらえたりしますか?

(外国人)もちろん、わたしたちはもうすぐゴールだし。

(ぼく) この先に自販機や水飲み場はないですよね。。?

(外国人)うん、そんなものはなかったよ。これ持っていきなよ。

(ぼく) ありがとう!!実をいうとドリンクが少ししか残ってなくて困っていたんだ。本当に助かるよ。

というやり取りの末、水道水の入ったウィルキンソンのペットボトルを入手しました。4分の1ぐらいしか入っていませんでしたが、それでも本当に有難かったですね。嬉しくて思わず写真を取ってしましました。

ウィルキンソンのペットボトル
ウィルキンソンのペットボトル

碓氷峠「堀り切り」

さて、休憩はほどほどにして、先へ進みましょう。しばらく走り続けると、「堀り切り」と呼ばれるスポットに差し掛かりました。

天正十八年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めで、北陸・信州軍を、松井田城主大導寺駿河守が防錆しようとした場所で、道は狭く両側が掘りきられている。ーー現地案内板より

堀り切り
堀り切り

碓氷峠「座頭ころがし(釜場)」

間もなく上り坂に差し掛かりました。ここは「座頭ころがし(釜場)」と呼ばれる碓氷峠の難所のひとつです。

急な坂道となり、岩や小石がごろごろしている。それから赤土となり、湿っているのですべりやすいところである。ーー現地案内板より

確かに足場が悪くと、ズルっズルっ滑りながら急な坂を歩いて上りました。

座頭ころがし(釜場)
座頭ころがし(釜場)

坂を上りきると、しばらく平坦な道が続きます。ゆっくりと走っていたら、いきなり足をつりました。ちょうど膝の上の筋肉がガチガチに硬直し、膝が曲げられなくなってしまいました。。。仕方ないので、まずは近くの木に寄りかかり、立ったまま様子をみました。少ししたら足を動かせるようになったので、近くの丸太に腰をおろして休憩しました。

急斜面を上ってきたから足に負担がかかったのか、あるいは水分補給が十分にできなかったからか、と原因を考えながら足をマッサージしました。

休憩
休憩

碓氷峠「山中坂」

10分ほど休むと、また歩けるようになりました。すると、目の前に再び長くて急な坂が立ちはだかりました。

碓氷峠の坂
碓氷峠の坂

山中坂 山中茶屋から子持山の山嶺を陣場が原に向かって上がる急坂が山中坂で、この坂は「飯喰い坂」とも呼ばれ、坂本宿から登ってきた旅人は空腹ではとても駄目なので手前の山中茶屋で飯を喰って登った。山中茶屋の繁栄はこの坂にあった。ーー現地案内板より

ここ山中坂は、ぼくにとって碓氷峠の最大の難所でした。長い長い坂が延々と続きます。もうここは走るのを諦めて、早足出歩きました。12分/kmぐらいのペースです。

碓氷峠の坂
碓氷峠の坂

山中坂を上りきったあたりに一軒の別荘らしき建物がありました。その近くに置かれていたのが、このボロいバス。車では上ってこれないこんな辺鄙な場所に、誰がどうやってこのバスを持ってきたのが不思議でなりません。

バス
バス

熊野神社に到着!

長い長い坂を上りきると、しばらく平坦な道が続きます。そのまま突き進んでいくと「熊野神社」に到着しました!いやー、長かったです。でも頑張れた。頑張った。自分に褒めてあげたいです(笑)。

早速、熊野神社で無事に峠を越えられたことを感謝するとともに、今後の旅の安全祈願をお参りしました。

熊野神社
熊野神社

ちょうど神社の門のところに県境の標識が見えました。熊野神社はちょうど群馬県と長野県の県境に建っているのですね!

群馬県と長野県の県境
群馬県と長野県の県境

ちなみに熊野神社の目の前にあるお茶屋さんも、県境に建っていました。

熊野神社のお茶屋
お茶屋

熊野神社で安全祈願の参拝をしたあとは、県道133号をひたすら下って軽井沢を目指します。途中、「国道18号・軽井沢方面」と分岐するので、左折せずに「旧軽井沢」方面へ進みます。

軽井沢を目指す
軽井沢を目指す

旧軽井沢エリアと熊野神社を結ぶ、通称「赤バス」に追い抜かれてしまいました。

赤バス
赤バス

しばらく走り続けると、軽井沢の別荘がちらほら見えてきました。別荘地へ続く道は私道になるので、基本的に所有者以外の立ち入りは禁止されています。

中山道18番目の宿場町「軽井沢」

坂本宿から11.6km、中山道18番目の宿場町である軽井沢宿に到着しました。

標高 950mの軽井沢宿は明治以降、外国人宣教師の紹介により別荘地に変貌。夏は中山道最大の賑わいを見せ、旧軽銀座の名で呼ばれる。路地裏やつるや旅館に宿の名残も見られる。ーー『中山道69次を歩く』より引用

軽井沢ショー記念礼拝堂

旧軽井沢エリアの端にたどり着くと「軽井沢ショー記念礼拝堂」の銅像がお出迎え。こちらは聖公会宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーの胸像です。

明治初期、さびれた宿場町だった軽井沢の魅力をいち早く見抜き、日本有数のリゾート地としての礎を築きました。

明治18年軽井沢町をはじめて訪れ、翌明治19年に家族を伴って軽井沢町に家を借りて夏を過ごしたアレキサンダー・クロフト・ショー師は、この地を『屋根のない病院』と呼び絶賛しました。そして、自ら明治21年、軽井沢で最初の別荘を建てました。この別荘が『軽井沢の別荘』を生み出すもととなりました。(引用元

アレキサンダー・クロフト・ショー
アレキサンダー・クロフト・ショー

ショー記念礼拝堂の斜向いには、「芭蕉句碑」がドーンと立っていました。さすが観光地だけあって、案内板には英語・中国語・韓国語の三ヶ国語の対訳付きでした。

馬をさへ なかむる雪の あしたかな<

芭蕉句碑
芭蕉句碑

軽井沢銀座

こちらは「軽井沢銀座」と呼ばれる、軽井沢で人気のショッピングストリートです。ナカ旅に出かけたのはGW中だったので、ものすごい人だかりでした。美味しい牛乳やソーセージが手に入るのですが、、時間が無いので今回はスルーします。

軽井沢銀座
軽井沢銀座

それにしても人混みをかき分けて走るのは難しい。。

六本辻

まもなく「六本辻」と呼ばれるロータリーです。軽井沢駅、国道18号、中軽井沢駅、雲場池などにつながる6つの道路が交差します。昔はこのあたりが軽井沢宿の中心でした。

六本辻
六本辻

六本辻は日本では珍しい、信号のないラウンドアバウト(環状交差点)。

六本辻
六本辻

六本辻から片道一車線の「離山通り」を走ります。軽井沢東部小学校、軽井沢高校を通り過ぎると国道18号に合流します。軽井沢中学校前で国道18号と線路を渡ります。

ちょうど、しなの鉄道の車両が目の前を通り過ぎていきました。

しなの鉄道
しなの鉄道

中山道19番目の宿場町「沓掛」

軽井沢宿から4.5km、中山道19番目の宿場町である沓掛宿に到着しました。しなの鉄道中軽井沢駅から歩いてすぐのところです。

今回の旅はここまで。次回はここから出発します。

中軽井沢駅
中軽井沢駅

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