中山道を走る旅:深谷→本庄→新町→倉賀野→高崎

中山道を走る旅:深谷→本庄→新町→倉賀野→高崎|ともらん

東京から京都まで「中山道」歴史街道を走って旅する企画。今回は、中山道9番目の宿場町「深谷」から、13番目の宿場町「高崎」まで、日帰りで 26kmの道のりを走りました。
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中山道を走る旅

今回の旅ランでは、中山道9番目の宿場町「深谷」から、13番目の宿場町「高崎」まで、日帰りで 26kmの道のりを走りました。

  • 出発:深谷宿(埼玉県深谷市)
  • 終着:高崎宿(群馬県高崎市)
  • 走行距離:26.7km
  • 所要時間:約4時間

STRAVAのアクティビティデータ

それでは早速、旅ランの様子をお届けします!

中山道9番目の宿場町「深谷」

深谷といえば深谷ネギが有名ですが、若い世代には深谷市公式キャラクター(ゆるキャラ)の「ふっかちゃん」のほうがピンとくるかもしれません。

深谷市内を走っていると、看板やポスターなど、ありとあらゆるものに「ふっかちゃん」を目にします。

ふっかちゃん
ふっかちゃん

深谷はレンガの町としても知られています。かつて深谷には、日本で最初のレンガ工場がありました。

かつて深谷には、明治20年(1887)に設立された煉瓦製造会社の煉瓦工場がありました。この会社は、日本近代化のために明治政府の要請をうけた渋沢栄一らが設立した、日本で最初の煉瓦工場です。(…)良質な深谷の煉瓦は、明治時代から大正時代にかけて、東京駅や赤坂離宮など、多くの近代建築に用いられました。ーー 深谷駅前案内板より

JR深谷駅の駅舎もレンガで出来ています。東京駅に似ているので「ミニ東京駅」とも呼ばれています。

JR深谷駅
JR深谷駅

深谷は「日本資本主義の父」とも呼ばれる渋沢栄一の生まれ故郷でもあります。駅前の青淵公園には渋沢さんの銅像が建っていました。

渋沢栄一像
渋沢栄一像

深谷周辺にはいろいろ面白そうなスポットがありそうなので、今度家族を連れてじっくり観光したいと思います。

冒頭からかなり脱線しましたが、中山道の9番目の宿場町である「深谷宿」から旅を再開します。

深谷宿。旅籠屋が中山道69宿の中で最も多かった。特に飯盛旅籠が多く、英泉も描いた女性たちが宿の繁栄を支えた。明治時代に煉瓦製造が盛んになり、東京の赤煉瓦街を造る源となった。ーー『中山道69次を歩く』より引用

商店が立ち並ぶ深谷宿周辺
商店が立ち並ぶ深谷宿周辺

煉瓦の煙突なんて、いまどき珍しいですね。深谷の街にはこうしたどこか懐かしい風景が残っています。

煙突のある建物
煙突のある建物

こちらは清酒「菊泉」でお馴染みの滝沢酒造株式会社の建物。昔ながらの製法で作るにお酒が特徴です。

滝沢酒造株式会社
滝沢酒造株式会社

途中から国道17号線に合流。道幅が広くて歩道も整備されているので、とても走りやすかったです。東京の日本橋から80キロ。次の本庄宿まであと8キロです。

中山道 道路標識
中山道 道路標識

バスラーメン!?

国道17号線から右に逸れて、旧中山道の細道に入ろうとすると、真っ赤なバスを発見!廃車したバスをラーメン屋として再利用している「バスラーメン」です。

「営業時間は17時半~気分次第 日よう休み」と書いてあるけど、本当に営業しているのかな。。

バスラーメン
バスラーメン

小山川へ向かう坂の途中、百庚申を見かけました。こちらは幕末に建立されたものです。

百庚申
百庚申

手作り感あふれる道案内を発見!地元の方たちの心遣いに感謝です。

中山道 道案内
中山道 道案内

住宅街を抜けて、小山川を目指します。

小山川へ
小山川へ

「滝岡橋」を渡ります。こちらの橋は、何気に国の登録有形文化財なんです。

この滝岡橋は小山川を渡る旧中山道に設けられた名橋で、長さ147メートル、幅員7メートルの銅製八連橋で、昭和30年に竣工、花崗岩を用いた親柱の窓には、かつて灯りがともり、人々を夕涼みに誘い生活の潤いとなっていた。ーー現地案内板より

滝岡橋
滝岡橋

道中は古い建物をよく見かけます。ちゃんとリフォームすれば、歴史的価値が増しそうですが、誰も住んでいないのか、かなり荒れた感じです。

中山道の建物
中山道の建物

本庄市の市街地に入り、長い緩やかな上り坂をゼーゼーハーハーしながら走ります。

埼玉県本庄市に入ると、本庄市公式キャラクターの「はにぽん」がお出迎え!始めてみる顔ですが、自動販売機にもしっかり使われていました。

本庄市公式キャラクターの「はにぽん」
本庄市公式キャラクターの「はにぽん」

所属:埼玉県本庄市名前の由来は「埴輪(はにわ)」+「本庄(ほんじょう)」から。モチーフは、市内から出土した1400年前のとても珍しい「笑う埴輪」です!笑顔を届けに現代へタイムスリップ♪見かけたら声をかけてね!(はにぽん|ゆるキャラグランプリ オフィシャルウェブサイト

中山道10番目の宿場町「本庄」

深谷宿から10.6km、中山道10番目の宿場町である本庄(ほんじょう)宿に到着しました。

本庄宿。扇状地の扇端に位置し、豊富な水に恵まれている。宿内人口は4000人を超え、中山道最大の宿として繁栄。ーー『中山道69次を歩く』より引用

本庄市役所と本庄城跡

本庄宿では休憩を兼ねて「本庄城跡」へ寄ってきました。JR本庄駅から北に走ること5分、本庄市役所が見えてきました。

「本庄城跡」は本庄市役所の隣にあります。城跡といっても、記念碑があるだけで、昔の面影は何も残っていませんでした。

本庄城は、1556年に本庄宮内少輔実忠により築城されますが、北条氏や豊臣秀吉の関東攻めによる度々の落成を経て、1612年に徳川政権によって廃されてしまいます。つまり、城として機能していたのは、ほんのわずかな期間だったのですね。

本庄城跡
本庄城跡

本庄城跡の奥へ進むと「城山稲荷神社」があります。こちらの神社は、本庄城が築城された際に城の守護神とするため城内に奉斎したそうです。社殿の前に立つケヤキの大木は、本庄城築城の際に献木されたもので、埼玉県の天然記念物にも指定されています。

城山稲荷神社
城山稲荷神社

余談ですが、本庄市役所の敷地内にある冬桜と紅葉のコラボレーションが綺麗でした!

本庄市役所
本庄市役所

本庄城跡を後にして、旧中山道に戻ります。気持ちを切り替えて、次なる目的地の新町宿を目指します。

JR本庄駅からほど遠くないところに「電気館カレー」なるレストランを発見。ビビッとくる辛さなんでしょうか。

電気館カレー
電気館カレー

途中、レンガ造りの立派な建造物の横を通り過ぎます。こちらは旧本庄商業銀行のレンガ造りの倉庫。レトロな感じがいいですね。ちょうど改修工事が進められており、中には入れませんでしたが。

旧本庄商業銀行のレンガ造りの倉庫
旧本庄商業銀行のレンガ造りの倉庫

金鑚神社

本庄市の市街地を抜け、しばらく走りつづけると、金鑚(かなさな)神社に差し掛かりました。

神社の祭神は天照皇大神、素戔嗚尊、日本武尊の三神である。社伝によると、創立は欽明天皇の二年(541)と伝えられている。武蔵七党の一つである児玉党の氏神として、また、本庄城主歴代の崇信が厚かった。ーー現地案内板より

金鑚神社
金鑚神社

先ほど見た城山稲荷神社のケヤキには圧倒されましたが、金鑚神社の御神木もそれに劣らず立派でした。

当社の御神木となっているクスノキの巨木は、県指定の天然記念物で、幹回り5.1メートル、高さ20メートル、樹齢約300年以上と推定される。これは本庄城主小笠原信嶺の孫にあたる忠貴が社殿設立の記念として献木したものと伝えられる。ーー現地案内版より

金鑚神社の御神木
金鑚神社の御神木

本庄城跡と金鑚神社で予想以上に時間を使ってしまったので、新町宿へ急ぎます。

ふと歩道に目を向けると、中山道の宿場町をモチーフにしたタイルが埋め込まれていました!日本橋から始まり、、ちゃんと本庄もありました!

宿場町をモチーフにしたタイル
宿場町をモチーフにしたタイル

道中、「浅間山古墳」を通り過ぎます。

浅間山古墳
浅間山古墳

浅間山古墳は、上里町東部から本庄市西部の本庄大地の先端部に広がる旭・小島古墳群を構成する一基です。墳形は、直径約38メートル、高さ6メートルの円墳と考えられます。ーー現地案内板より

「新築 1590万円」の広告を発見しました。この辺りだと月4万円台~で新築一戸建てが手に入るんですね!

新築住宅広告
新築住宅広告

神流川

ようやく埼玉県境の神流川(かんながわ)にたどりつきました!橋の麓には「見透灯籠」と呼ばれる常夜灯が置かれています。

神流川 見透灯籠
神流川 見透灯籠

上武二洲の国境を流れる神流川は、往古より荒れ、川で出水毎に川瀬道筋を変えて旅人や伝馬、人定の悩みの種であった。文化十二年(1815年)本庄宿の戸谷半兵衛が、川の両岸に灯篭を建立し、夜になると火を燈し夜道を往来する旅人の標準とした。ーー現地案内板より

神流川を渡り切ると、群馬県に入ります。

群馬県へ突入
群馬県へ突入

新町宿まであと400メートル!

中山道 道路標識
中山道 道路標識

神流川の近くに、ラスクで有名な「ガトーフェスタ ハラダ」の本社工場がありました。平日は工場見学もできるようです。

「ガトーフェスタ ハラダ」の本社工場
「ガトーフェスタ ハラダ」の本社工場

「新町検問所」と書かれた建造物を発見。見るからに昭和の遺物ですね。。昔は県境を行き来する人たちを検問していたのでしょうか。

新町 新町検問所
新町 新町検問所

中山道11番目の宿場町「新町」

中山道の新町宿で最初に目にしたのは「八坂神社」と書かれた赤いのぼり旗でした。これでもか!というぐらい、のぼり旗が立っているので近づいてみると、「柳茶屋の芭蕉句碑」がありました。

傘(かさから)におしわけみたり柳かな 

現地の案内板によると、江戸時代に建てられたものだそうです。

この句碑は寛政五年(1793)から天保五年(1834)の間に、近くに柳の大木があることから、「柳茶屋」と呼ばれた茶屋島田やの側を選び、(小渕)湛水と(笛木)白水が建てたと思われます。(現地案内版より)

芭蕉句碑のお隣には、土蔵造りの八坂神社がありました。鳥居が無ければ、小さい「蔵」にしかみえませんが。

八坂神社を後にして、しばらく走りつづけると今度は紫色ののぼり旗を発見。そこには「史跡めぐり 明治天皇行在所」と書かれていました。明治時代に明治天皇が宿泊された場所ですね。

明治天皇は、明治11年8月から11月にかけて、北陸・東海地域の御巡幸(視察)を行いました。その途中の9月2日に新町に宿泊された施設がこの行在所です。
当時は木造瓦葺き平屋建ての本屋と付属家の2棟で、旧中山道に面して正門を設け、周囲は高さ9尺の総板塀で囲い、庭には数株の若松を植えてありました。昭和55年1月に新町の史跡文化財としての指定を受けました。

(現地案内板より) 

しばらく走ると、今度は窪地に弁財天を見つけました。弁財天の隣には、またまた芭蕉句碑を発見。どうも新町宿は江戸時代から俳句が盛んな土地だったようですね。

弁天島は、新町宿の西端を流れる恩井川の中州の小島で、弁財天の祠がありました。新町宿は江戸時代から俳諧の盛んな土地で、俳聖芭蕉を敬慕うする気風もあり、落合新町と笛木新町にも芭蕉句碑が現存します。「むすぶより はや歯にひびく 泉哉 はせを」とあり、安政二年(1855)久保一静、斉藤速水らによって建てられました。島にはみどりの清水と呼ばれる水が湧き出て、往来の旅人は足を止め、喉を潤したと言われています。

(現地案内板より)

さて、今回は寄り道ばかりしているので、少しペースを上げて走りつづけようと思います。ここから脇道に逸れて、利根川水系「烏川」を渡り、高崎市を目指します。

ところが「藤岡市」の看板を見て、!?!?と思いました。というのも、これまで新町は高崎市内を走ってきたはずなのに、なぜ藤岡市?これから目指すのは高崎市なのに。

あとでGoogleマップで調べてみたら理由がわかりました。新町は、高崎市の飛び石の部分に位置するため、高崎市(新町)に入り、藤岡市を経て、再び高崎市に入る、という不思議な現象が起こるわけです。

関越自動車道の下をくぐり抜けて、烏川沿いの集落を通り抜けます。

「中山道 倉賀野宿」の標識を発見。

烏川の土手に上がり、自転車道を走ります。 しばらく走りつづけると、前方に烏川を横断する橋が見えてきました。

柳瀬歩道橋を走ってわたります。途中、橋の上から釣りをしているおじさんを見かけました。ちなみに柳瀬歩道橋は、高崎伊勢崎自転車道の一部でもあるんですね。

のどかな風景が続きます。

烏川を渡り、倉賀野宿を目指して走りつづけます。倉賀野宿まであと少し!

倉賀野の市街地に入りました。久々にJR高崎線と立体交差します。

倉賀野宿の手前に常夜灯と道しるべを発見。道しるべには「右江戸道 左日光道」と書かれています。今ぼくは、右の「江戸道」から走ってきました。ここからは、江戸の脇街道のひとつ「日光例幣使街道」が始まります。

江戸時代、日光東照宮には毎年四月に朝廷からの使いが派遣されていた。これを日光例幣使と言う。例幣使は、京都を出発し中山道を下り、上野国倉賀野で玉村への道をとり、下野国楡木で壬生道、同国今市で日光道中に入った。例幣使道(街道)は、一般的に倉賀野から楡木までとされる。(現地案内板より)

ゆるやかな坂を上りながら、倉賀野の市街地へ入ります。

中山道12番目の宿場町「倉賀野」

旧中山道沿いにある「倉賀野古商家おもてなし館」。こちらは古商家の家を高崎市が譲り受け、無料の休憩所として開放しているそうです。少し休んで行きたかったのですが、時間が押しているので先に進むことにします。

かつて倉賀野宿の本陣があった辺りに、高札場を見つけました。現地の案内板によると、この辺りには幕府の禁令や高崎藩のお触れなどの高札が十数枚掲げられていました。

こちらの掲示板は、江戸時代のキリスト教禁止令に基づき、キリスト教徒を見つたら懸賞金がもらえるという内容です。今読むとかなり衝撃的です。ちなみに、ばてれん(伴天連)は司教、いるまん(伊留満)は司教に仕える者で、いずれもキリスト教宣教師を指します。

江戸時代のキリスト教禁止令は歴史の教科書で学びましたが、(レプリカですが)こういう史跡を訪れると、禁止令の生々しさが実感できます。

倉賀野宿を後にして、本日のゴールである高崎宿に向かって走りつづけます。次に足止めしたのは「安楽寺」というところ。なんでもお寺のなかに高崎市指定史跡があるのだとか。

お寺の門をくぐり、左奥へ入っていくと、将棋の駒のような形をした石を見つけました。これらは「異形板碑」と呼ばれ、通常の板碑は薄い石の板に文字が書かれているのに対し、異形板碑は相当な厚みがあるのが特徴です。

また、通常の板碑は緑泥片岩で造られることが多いのですが、異形板碑は、群馬県で採れる牛伏砂岩で出来ています。

なお、寺の裏には安楽寺古墳と呼ばれる円墳があり、石室内部の壁画には仏像が彫られているそうです。

さらに走りつづけると「一里塚跡」の案内板を発見。かつてここには、日本橋から25番目の一里塚がありましたが、明治の道路改修により取り壊されてしまいました。

それにしても、一里(約4キロ)× 25 ということは、日本橋から走り始めて100キロになるんですね!

さて高崎宿に近づくと、もうひとつの古墳が見えてきました。その名は「浅間山古墳」。古墳と言っても、特に調査はされておらず、管理もされていない感じでした。

高崎市の市街地に入ると「上武大学 箱根駅伝出場!」のデカデカとした看板を見かけました。2017年の箱根駅伝で9年連続の出場となります。

中山道13番目の宿場町「高崎」

今回は、丸一日かけて深谷宿(埼玉県深谷市)から高崎宿(群馬県高崎市)までの道のりを走り切りました。

走った後は、お楽しみの温泉です。高崎駅西口から徒歩20分ほどの「さくらの湯」へ向かいました。キャッチコピーは「街中で唯一の源泉かけ流し、高崎市最古の天然温泉」。泉質はヌルッとしていて気持ちよかったです。これで550円ですから、かなり良心的だと思いますよ。

サッパリした後は、JR高崎駅へ戻り、JR高崎線で大宮へ向かいました。

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