中山道を走る旅:鴻巣→熊谷

中山道を走る旅:鴻巣→熊谷|ともらん

東京から京都まで「中山道」歴史街道を走って旅する企画。今回は、中山道7番目の宿場町「鴻巣」から、8番目の宿場町「熊谷」まで、日帰りで 15kmの道のりを走りました。
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中山道を走る旅

今回の旅ランでは、中山道7番目の宿場町「鴻巣」から、8番目の宿場町「熊谷」まで、日帰りで 15kmの道のりを走りました。

  • 出発:鴻巣宿(埼玉県鴻巣市)
  • 終着:熊谷宿(埼玉県熊谷市)
  • 走行距離:15km
  • 所要時間:約3時間

STRAVAのアクティビティデータ

中山道7番目の宿場町「鴻巣」

鴻巣という地名は、恐らく埼玉県民か一部の群馬県民しか知らないんじゃないでしょうか。鴻巣は、埼玉県のど真ん中。ちょうど、東京と高崎の間ぐらいです。

鴻巣には埼玉県警運転免許センターがあり、長年埼玉県に住んでいる人なら、一度は訪れたことがあると思います。

我が家も妻の免許更新のため、今年の5月に来たばかり。3月には《鴻巣パンジーマラソン》にも出場しました。今年は何かと鴻巣に縁があります。

午前9時半、JR高崎線の鴻巣駅に到着。駅前に出ると、世界ギネスブックにも登録された世界最大の四尺玉花火と煙火筒がお出迎え。これはインパクト大です。

鴻巣駅から歩いて5分で旧中山道の鴻巣宿に到着。今日はここからスタートします。標石を見ると「熊谷宿まで四里六町十六・四軒」と書いてあり、だいたい16キロぐらい。桶川宿からの一里三十町に比べると、えらい遠いですね。

鴻巣宿。南にあった本宿から宿が移され鴻巣宿が誕生。宿の南部人形町は、江戸時代から鴻巣人形を製造販売する人形屋が軒を連ねる。ーー『中山道69次を歩く』より引用

鴻巣神社

鴻巣市のシンボル、コウノトリとツーショット。

旧中山道を走り始めて数分で鴻巣神社を発見。

道中の安全を祈願し、案内板を熟読。こくふのす(国府の洲)→ こうのす、が地名の由来なんですね。それにしても「こうのとり伝説」ってなんでしょう?

こうのとり伝説について → こうのとり伝説 | 鴻神社公式ホームページ

鴻巣宿~熊谷宿ルートは、国道や県道から脇道に逸れることが多く、うっかりすると旧中山道から外れてしまいます。それを気遣ってか、このような標石が、道を間違えそうなポイントにたっています。

追分の多い道

この辺りは「追分」という地名なんですが、そもそも「追分」って、道が二つに分かれる場所という意味なんですね。初めて知りました。それにしても、今回のルートが追分が多いですね。。

ちなみに、江戸時代はこんな感じだったそうです。

ひたすら旧中山道を走り続けます。すると電柱に、白いガムテープにマジックで書かれた「中山道」の文字が。。。このチープな感じにグッときました。

途中、古ぼけた白い木を発見。一応これ、前砂一里塚跡らしいですが、文字が擦れていて「跡」の文字しか読み取れませんでした。

しばらく走り続けると、ちょっと変わった用水路を発見。なぜかこのように2つに分かれています。

あとで調べたら、用水路ではなく、武蔵水路と呼ばれる一級河川でした。しかも、利根川から荒川に導くための導水路で、東京・中西部地域への水供給に欠かせない存在とのこと。

ちなみに、水路が2つに分かれているのは、通水を続けながらメンテナンスするためだそうです。メンテナンスで水を止めてしまうと、首都圏の治水機能が麻痺してしまいますからね。一方が修理中でも、もう一方で水を通せます。

またまた追分。もうすぐ、JR吹上駅です。

幻の吹石宿

県道365号をまっしぐら。いやー、結構気温が上がってきましたよ。

吹上駅を通り過ぎると、今度は左の小道に入ります。この標石、ほんと助かります。

こちらは吹上神社です。鳥居の位置関係がビミョーですね。

吹上神社の先で、JR高崎線の線路とナナメにぶつかります。ここは陸橋を渡って、斜め左へ。

ちなみに江戸時代はこんな感じ。このあたりには、吹上宿と呼ばれる間の宿がありました。鴻巣宿から熊谷宿までの距離があまりにも長いので、途中に設けられた「非公式」の宿場町です。

久々に高崎線と遭遇しました。

榎戸村というところで一休みしました。もともと江戸時代に元荒川をせきとめるために造られたそうです。

しばらく閑静な住宅街を走り続けると、荒川の土手にたどり着きました。

土手の手前には物言い地蔵と呼ばれるお地蔵さまがいました。その昔、強盗の殺害現場を目撃したお地蔵さまが「吾は言わぬが汝言うな」と口をきいたそうな。

荒川土手

荒川の土手に上って、一本道をひたすら走り続けます。ところが、あとで知ったのですが、旧中山道はこの土手ではなく、ひとつ下の道路でした。。。まあでも、走っていて気持ち良いところでしたよ。

途中、決壊の碑の横を通りかかりました。荒川の黒歴史のモニュメントです。

荒川は、その名のとおり、古来から「荒れる川」として知られ、たびたび洪水により周辺住民を苦しめてきました。まだまだ万全ではなく、堤防や護岸などの整備が進められています。

荒川土手から旧中山道に戻り、熊谷を目指して走り続けます。途中、住宅街のど真ん中に東竹院の看板を発見。開創1191年と書いてあるので、江戸時代の旅人たちは、このお寺の横を通ったはず。これは一見の価値あり。

東竹院の中へと入ります。庭園の管理が隅々まで行き届いている、美しいお寺でした。お地蔵さまも、きれいに着飾っています。

中山道8番目の宿場町「熊谷」

もう間もなく熊谷、という時に「八丁の一里塚跡」に差し掛かりました。一里塚はなく、小さな公園になっていました。

今日のランはここまで。JR熊谷駅から新幹線に乗って大宮まで戻りました。

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