【ナカ旅】板橋には本当に「板の橋」があるのか?中山道を走って検証してみた

読めば走りたくなるブログ「走りずむ」をお読みいただき有難うございます。管理人のtomo.@tomo3run)です。

東京から京都まで「中山道」を走って旅する企画、ナカ旅を続けています。

中山道(なかせんどう)は、東京の日本橋から京都の三条大橋を内陸経由で結ぶ街道。江戸時代の旅人や飛脚は、道中69ヶ所の「宿場」で休みながら、約550キロの道のりを移動していました。 

ナカ旅のルールは簡単。基本的には江戸の飛脚と同じで、道中の宿場をひとつずつクリアしながら旧中山道を自力で走って移動します。宿場は一度クリアすれば、電車で移動することも可能。主に休日を使って地道にクリアしていきます。

今回は、東京の日本橋から最初の宿場である板橋(いたばし)宿を中心に、次の蕨(わらび)宿までの道中をレポートします。

コースの特徴

板橋から蕨までの距離は9.3キロ。基本的には日本橋から国道17号(中山道)沿いを北上します。ただし国道17号は明治以降に整備された道路なので、国道17号は必ずしも旧中山道と同じではありません。

今回は旧中山道を忠実にたどるため、板橋区で石神井川を越え、志村坂上から志村坂下まで長い坂を下り、荒川を渡って埼玉県に入るルートを走ります。

前回は、東京の日本橋から板橋まで、10.8キロの道のりを走ってきました。

関連記事:【ナカ旅】そうだ、京都まで走ろう!日本橋「道路元票」から始まる中山道の旅

江戸時代の飛脚の目線で走っていると、普段は無意識にスルーしている情報がスッと頭に飛び込んできたり、意外なところで江戸時代の面影を発見できたりして面白いですよ。

例えば「板橋」の地名。たまにJR埼京線に乗って板橋駅を通過するんですが、板橋の地名の由来なんて一度も考えたことなかったです。

でも実際に街道を走っていると、行く先に石神井川がある。先に進むには橋を渡る必要がある。そこには昔、板橋と呼ばれる橋があったことを知る。「なるほど、だから板橋という地名なんだ!」

こういう発見が、街道を走る旅の醍醐味でもあります。

道中レポート

JR板橋駅から滝野川銀座商店街を走ること3分、国道17号(とその上を走る首都高環状線)を渡った先に、板橋宿不動通り商店街の入り口があります。「板橋宿」の看板もありますね。あまり目立たないので、注意しないと国道17号へ行ってしまいそうです。。

それからオレンジ色の横断幕「ラッピーカーニバル」が気になります。よく見ると、ウサギが2匹腰掛けていますが、こちらは板橋宿不動通り商店街のマスコットの「ラッピー」。ラッキーとハッピーを掛け合わせて「ラッピー」と呼ばれるそうです。

商店街をしばらく走り続けると、「仲宿」の看板を目にしました。この辺りはかつて板橋宿があり、飯屋や旅館が軒を連ねたエリアです。近くの公園には、「板橋宿 中山道で一番目の宿場」と書かれた案内板が立っていました。

仲宿の中心に小さな橋があります。古びた木造の標識には、「距日本橋 二里二十五町二十三間」と書かれていました。一里とは、昔の距離の単位で3927メートル。なので「日本橋から約8キロ」という意味ですね。

標識の隣にあった案内板を読んでみます。

この橋は板橋と称し、板橋という地名はこの板橋に由来するといわれています。板橋の名称は、すでに鎌倉時代から室町時代にかけて書かれた古書の中に見えますが、江戸時代になると宿場の名となり、明治22年に市制町村制が施行されると町名になりました。そして昭和7年に東京市が拡大して板橋区が誕生した時も板橋の名称が採用されました。

「板橋」という地名は、なんと鎌倉時代からあったんですね!もしかして板橋って、板状の橋だったのでしょうか?

江戸時代の板橋は、太鼓状の木製の橋で、長さは9間(16.2M)、幅3間(5.4M)ありました。

いえ、太鼓状の橋だったようです。そして今はアスファルトが敷き詰められています。

そしてこちらが「板橋」のかかる石神井川。真夏だからか、水量がずいぶん乏しいです。

石神井川は、小平市内にその源を発し、西東京市を経て、当所管内の練馬区・板橋区を流下し、北区内で隅田川に合流しています。流域面積は61.6平方キロメートル、総延長は25.2kmであり、都内の中小河川としては比較的大きな規模の河川です。(東京都第四建設事務所 河川の整備 石神井川より)

板橋を渡った先には、縁切榎と書かれた変わった祠がありました。案内板によると、ここは江戸時代から縁切榎として知られていて、嫁入り前の娘が中山道を旅する際は「縁切り」が無いよう、わざわざ榎を迂回して中山道を通ったそうです。

しかし縁切にも、よい面もあるとのこと。

男女の悪縁を切りたいときや断酒を願い時に、この榎の樹皮を削ぎとり煎じ、ひそかに飲ませるとその願いが成就するとされ、霊験あらたかな神木として庶民の信仰を集めました。

物は言いようだ、としか言いようがないですね。しかも最後の一文は全く意味がわからない。。

また、近代以降は難病との縁切りや良縁を結ぶという信仰も広がり、現在も板橋宿の名所として親しまれています。

都営地下鉄の志村坂上駅まで来ました。その名前どおり、志村坂上は本当に坂の上にあるんですね。ここから長く緩やかな坂を下ります。ちなみに坂の下は志村坂下といいます。

これまで脇道ばかり走って来ましたが、途中から国道17号と合流します。さすがに現代の幹線道路は交通量も排気ガスも多いですね。。ひたすら走り続けると、東京の北端、荒川までたどり着きました。

戸田橋を渡って荒川を渡ります。川の向こうは埼玉県戸田市。ちなみに国道17号が通るこの橋は戸田橋といいます。

進行方向の右手には、東北・上越新幹線と埼京線が走っています。ちょうど橋の真ん中あたりで、北陸新幹線(E7系)が颯爽と通過していきました。

埼玉県戸田市に入りました。ここから国道17号を直進し、戸田市から蕨市へ向かいます!

板橋〜蕨の「気になるスポット」

最後に、ぼくが板橋〜蕨の区間を走っていて、え!?何これ!?と感じた「気になるスポット」を紹介します。それがこちらの一枚。

都営地下鉄の志村坂上駅の交差点に立つこの怪しげな標石には、「国指定史跡 志村一里塚」と書かれてあります。一里塚とは、旅人の目印として、1里(約3.927キロ)ごとに街道に設けられた塚のことです。マラソン大会では1キロごとに距離表示がありますが、あれと似たようなものですね。

江戸時代には1里ごとに一里塚があったそうですが、明治以降、近代都市と道路網の発展とともに姿を消してしまいます。志村一里塚は、現存する数少ない一里塚のひとつなんです。

江戸日本橋から三里、つまり日本橋を発って12キロも走って来たということですね。

まとめ

東京から京都まで「中山道」を走って旅する企画、ナカ旅。今回は日本橋から最初の宿場があった板橋宿から、次の蕨宿までの道中の様子を紹介しました。「板橋」という橋があったから、板橋という地名になった。そんな素朴な発見があった旅でした。

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