【ナカ旅】かつて「ベニバナ宿」と呼ばれた中山道桶川宿

読めば走りたくなるブログ「走りずむ」をお読みいただき有難うございます。管理人のtomo.@tomo3run)です。

東京から京都まで「中山道」を走って旅する企画、ナカ旅を続けています。

中山道(なかせんどう)は、東京の日本橋から京都の三条大橋を内陸経由で結ぶ街道。江戸時代の旅人や飛脚は、道中69ヶ所の「宿場」で休みながら、約550キロの道のりを移動していました。 

ナカ旅のルールは簡単。基本的には江戸の飛脚と同じで、道中の宿場をひとつずつクリアしながら旧中山道を自力で走って移動します。宿場は一度クリアすれば、電車で移動することも可能。主に休日を使って地道にクリアしていきます。

今回は、東京の日本橋から6番目の宿場である桶川(おけがわ)宿を中心に、次の鴻巣(こうのす)宿までの道中をレポートします。

コースの特徴

上尾から桶川までの距離は8.3キロ。前回の上尾〜桶川と同様に、県道164号(鴻巣・桶川・さいたま線)を走ります。いわゆる「旧中山道」と呼ばれるルートです。

道中レポート

桶川市に入ると、旧中山道の至るところに「ベニバナ」の文字を見かけます。街路灯のフラッグにも「中山道桶川宿 べにばなカード」云々。

気になって調べてみると、桶川市のべにばな物語にその答えが書いてありました。

桶川市では、ふるさと創生事業の一環として「べに花の郷 桶川市」のキャッチフレーズを掲げ、紅花をシンボルとしたまちづくりを行っています。 なぜ桶川市で“紅花”なのか。意外な取り合わせにおもわれるかもしれませんが、桶川の歴史を遡るとその理由がはっきりと見えてきます。

 江戸時代には「桶川臙脂」として知られたべに花は、街の主要産業だったんですね。

どんなに隆盛を極めていても、時代とともに消えゆくモノがあります。桶川の「紅花」もその一つでした。江戸時代、桶川は紅花をはじめとする農作物の集散地兼宿場町として栄え、特に紅花は、幕末になると、山形の「最上紅花」に次いで全国で二番目の生産量を誇りました。

当時は、まちのいたるところで紅花畑が見られたといわれています。桶川における紅花の生産は、天明・寛政年間(1781~1801年)に江戸商人がその種子をもたらしたことから始まり、「桶川臙脂(えんじ)」の名で全国に知られるようになりました。

桶川宿は、これまで走ってきた宿場に比べて、古い建物が多く残っています。こちらは、蔵造りの商家、矢部家の家

そしてこちらは、江戸時代末期に建てられた旅籠。旅人たちの宿ですね。その後木材商の小林家の住居となり、今では国登録有形文化財となっています。

桶川宿の標石を発見。駐車場、公園、公衆トイレがコンパクトにまとまった所に建っていました。「左 上尾宿 三十四町」は、上尾から3.7キロという意味です。

江戸時代の面影が残る桶川宿を後にすると、いきなり現代にタイムスリップしました。ここは旧中山道と圏央道の交差点。つまり、江戸時代と現代の交差点とも言えます。。

すごい木を見つけました。。

JR北本駅前の交差点を過ぎて間もなく、東間浅間神社に差し掛かりました。鳥居の奥が小高い丘になっていて、その頂上に社殿があるんですが、この丘のことを「富士塚」というそうです。そして、ちょうど今、本物の富士山の方向を向いています。

地元で「センゲンサマ」と呼ばれているこの富士塚は、東西約三十七m、南北二十七m、高さ約6mの規模で、頂には木造の社殿が建てられている。参道と東側の石段および社殿は直線上に配置され、これを延長した先は実際の富士山を正確に指向する。(現地の案内板より)

板橋宿から蕨宿へ向かう途中に「志村一里塚」がありましたが、志村一里塚のように「塚」が現存するものは限られているそうです。

北本駅と鴻巣駅の間にある、馬室原一里塚も現存する「塚」のひとつです。これはぜひ見なくては!と思い、さっそく探しに行きました。

ただ、この馬室原一里塚、旧中山道(県道164号)沿いにはないんですよね。何度かググってみると、どうやら高崎線の西側(旧中山道と反対側)にあることが判明しました。仕方なく一旦北本駅まで戻り、駅前の踏切を渡って高崎線沿いの小道を走りました。

すると間もなく「埼玉県指定史跡 一里塚」の看板が見えました!わざわざ寄り道したかいがありました。 

塚は小山という感じで、田んぼの真ん中に土が盛られていました。看板がなければ完全にスルーしちゃいますよね。。

塚の上には「史跡 一里塚」と刻まれた標石がありました。

しかし、現存する一里塚なのに、なぜ旧中山道沿いにないのか?という疑問がでてきます。案内板を見ると、今いる場所は当時の中山道の西側の塚で、東側の塚は、明治16年の高崎線敷設の際に取り壊されたと書いてありました。

要するに、旧中山道は必ずしも江戸時代の中山道ではない、ということですね。

旧街道は、風雨や地震など、ごく当たり前の自然のサイクルによって崩壊し、あるいは新道の建設などで人の足が遠のいただけでも、草木に埋もれて道が消えてしまうことが良く分かる。 かつての街道の賑わいなど、実にあっさりとその証拠を消し去ってしまうようである(・・・)

「一般国道の中山道」、「バイパスの中山道」、「旧国道の中山道」、「旧中山道」、「古中山道」、「中山道原道」など、呼び名が複雑である。 国道で切り裂かれて消滅したり、民家の庭や畑になった「廃中山道」、「推定中山道」などもガイドマップなどに出てくる。

引用:消えた中仙道

うーん、なんか納得。つまり江戸時代の旅人と同じ道を走っている、というのは幻想に過ぎなんですね。中山道もまた、時代とともに変化してきたわけですから。

と思いに耽っていたら、隣を高崎線が通過していきました。

一里塚も見つかったことなので、旧中山道に戻り、鴻巣を目指します。

上尾〜桶川の「気になるスポット」

最後に、ぼくが桶川〜鴻巣の区間を走っていて、え!?何これ!?と感じた「気になるスポット」を紹介します。それがこちらの一枚。

JR桶川駅と 鴻巣駅の間にある北本駅。駅前交差点に「北本市域の中山道」と書かれた案内板を見つけました。

この辺りにはかつて鴻巣宿があった、と書かれています。

宿駅は事情によってその位置を移動することもありました。鴻巣宿はその例で、中山道開設当初は現在の市域の本宿付近に設置されていました。ところがこの宿場は文禄年間(1592~96)現在のJR鴻巣駅付近に、徳川家康の宿泊施設である鴻巣御殿が建てられたことなどを理由に、移動したと考えられています。

しかし「大人の事情」によって、現在のJR鴻巣駅に移転しまった、ということでしょうか。なんとも言えないノスタルジー感が漂ってきます。シミだらけで手入れされていないこの案内板も、何かを物語っています。

まとめ

東京から京都まで「中山道」を走って旅する企画、ナカ旅。今回は日本橋から6番目の宿場があった桶川宿から、次の鴻巣宿までの道中の様子を紹介しました。

前の宿場町:【ナカ旅】大宮宿から旧中山道「鴻巣・桶川・さいたま線」をゆく

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