【ナカ旅】俳聖芭蕉を慕う中山道新町宿

読めば走りたくなるブログ「走りずむ」をお読みいただき有難うございます。管理人のtomo.@tomo3run)です。

東京から京都まで「中山道」を走って旅する企画、ナカ旅を続けています。

中山道(なかせんどう)は、東京の日本橋から京都の三条大橋を内陸経由で結ぶ街道。江戸時代の旅人や飛脚は、道中69ヶ所の「宿場」で休みながら、約550キロの道のりを移動していました。 

ナカ旅のルールは簡単。基本的には江戸の飛脚と同じで、道中の宿場をひとつずつクリアしながら旧中山道を自力で走って移動します。宿場は一度クリアすれば、電車で移動することも可能。主に休日を使って地道にクリアしていきます。

今回は、東京の日本橋から11番目の宿場である新町(しんまち)宿を中心に、次の倉賀野(くらがの)宿までの道中をレポートします。

コースの特徴

新町から倉賀野までの距離は7.9キロ。新町宿から住宅街を抜け、高崎伊勢崎自転車道を走ります。途中、烏川を渡って県道121号(和田多中倉賀野線)を直進して倉賀野宿を目指します。

道中レポート

中山道の新町宿で最初に目にしたのは「八坂神社」と書かれた赤いのぼり旗でした。これでもか!というぐらい、のぼり旗が立っているので近づいてみると、「柳茶屋の芭蕉句碑」がありました。

傘(かさから)におしわけみたり柳かな 

現地の案内板によると、江戸時代に建てられたものだそうです。

この句碑は寛政五年(1793)から天保五年(1834)の間に、近くに柳の大木があることから、「柳茶屋」と呼ばれた茶屋島田やの側を選び、(小渕)湛水と(笛木)白水が建てたと思われます。(現地案内版より)

芭蕉句碑のお隣には、土蔵造りの八坂神社がありました。鳥居が無ければ、小さい「蔵」にしかみえませんが。

八坂神社を後にして、しばらく走りつづけると今度は紫色ののぼり旗を発見。そこには「史跡めぐり 明治天皇行在所」と書かれていました。明治時代に明治天皇が宿泊された場所ですね。

明治天皇は、明治11年8月から11月にかけて、北陸・東海地域の御巡幸(視察)を行いました。その途中の9月2日に新町に宿泊された施設がこの行在所です。
当時は木造瓦葺き平屋建ての本屋と付属家の2棟で、旧中山道に面して正門を設け、周囲は高さ9尺の総板塀で囲い、庭には数株の若松を植えてありました。昭和55年1月に新町の史跡文化財としての指定を受けました。

(現地案内板より) 

しばらく走ると、今度は窪地に弁財天を見つけました。弁財天の隣には、またまた芭蕉句碑を発見。どうも新町宿は江戸時代から俳句が盛んな土地だったようですね。

弁天島は、新町宿の西端を流れる恩井川の中州の小島で、弁財天の祠がありました。新町宿は江戸時代から俳諧の盛んな土地で、俳聖芭蕉を敬慕うする気風もあり、落合新町と笛木新町にも芭蕉句碑が現存します。「むすぶより はや歯にひびく 泉哉 はせを」とあり、安政二年(1855)久保一静、斉藤速水らによって建てられました。島にはみどりの清水と呼ばれる水が湧き出て、往来の旅人は足を止め、喉を潤したと言われています。

(現地案内板より)

さて、今回は寄り道ばかりしているので、少しペースを上げて走りつづけようと思います。ここから脇道に逸れて、利根川水系「烏川」を渡り、高崎市を目指します。

ところが「藤岡市」の看板を見て、!?!?と思いました。というのも、これまで新町は高崎市内を走ってきたはずなのに、なぜ藤岡市?これから目指すのは高崎市なのに。

あとでGoogleマップで調べてみたら理由がわかりました。新町は、高崎市の飛び石の部分に位置するため、高崎市(新町)に入り、藤岡市を経て、再び高崎市に入る、という不思議な現象が起こるわけです。

関越自動車道の下をくぐり抜けて、烏川沿いの集落を通り抜けます。

 「中山道 倉賀野宿」の標識を発見。

烏川の土手に上がり、自転車道を走ります。 しばらく走りつづけると、前方に烏川を横断する橋が見えてきました。

柳瀬歩道橋を走ってわたります。途中、橋の上から釣りをしているおじさんを見かけました。ちなみに柳瀬歩道橋は、高崎伊勢崎自転車道の一部でもあるんですね。

のどかな風景が続きます。

烏川を渡り、倉賀野宿を目指して走りつづけます。倉賀野宿まであと少し!

倉賀野の市街地に入りました。久々にJR高崎線と立体交差します。

倉賀野宿の手前に常夜灯と道しるべを発見。道しるべには「右江戸道 左日光道」と書かれています。今ぼくは、右の「江戸道」から走ってきました。ここからは、江戸の脇街道のひとつ「日光例幣使街道」が始まります。

江戸時代、日光東照宮には毎年四月に朝廷からの使いが派遣されていた。これを日光例幣使と言う。例幣使は、京都を出発し中山道を下り、上野国倉賀野で玉村への道をとり、下野国楡木で壬生道、同国今市で日光道中に入った。例幣使道(街道)は、一般的に倉賀野から楡木までとされる。(現地案内板より)

新町〜倉賀野の「気になるスポット」

最後に、ぼくが新町〜倉賀野の区間を走っていて、え!?何これ!?と感じた「気になるスポット」を紹介します。それがこちらの一枚。

芭蕉の名は有名なのでもちろん知っていますが、こちらの「日本スリーデーマーチ発祥の地」と書かれた記念碑は、何のことかまったくわかりませんでした…。ただ、「内閣総理大臣 中曽根康弘」の署名が気になりますが。

ウィキペディアによると、

日本スリーデーマーチ(にほんスリーデーマーチ)とは、埼玉県東松山市で行われる歩け歩け大会である。日本では最大規模であり、現在では全国各地で行われるようになったウォーキング大会の走りとなったイベントである。また、世界的に見てもオランダのナイメーヘンで行われるナイメーヘン国際フォーデーマーチに次ぐ第2位の規模である。国内の大会で九州国際スリーデーマーチと合わせて国際マーチングリーグに加盟しており、大勢の外国人も参加している。例年3日間でのべ10万人の参加者たちが比企丘陵を歩く。

要はウォーキングのイベントなんですね。現地案内板には、1978年11月に新町において「歩け歩け全国大会・全日本スリーデーマーチ」が開催されたと書かれていました。

こうやって走っているだけで、いろんな発見があるのでとても勉強になります。

まとめ

東京から京都まで「中山道」を走って旅する企画、ナカ旅。今回は日本橋から11番目の宿場があった新町宿から、次の倉賀野宿までの道中の様子を紹介しました。

B!

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