NHK番組『ここから「君原健二」』を観て考えたこと

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今朝のNHKのインタビュー番組『ここから「君原健二」』を観て、国代表のマラソン選手が背負うプレッシャーについて考えさせられました。

番組ではメキシコオリンピックの銀メダリスト、君原健二さんをスタジオに招いて、1964年の東京オリンピック、1968年のメキシコオリンピック当時の心境に迫ります。

3大会連続でオリンピックに出場したマラソンランナー君原健二さん75歳。52年前の東京オリンピックではメダルを期待されながら、プレッシャーにおしつぶされ結果をだせなかった。一度は引退も考える。ライバル円谷幸吉さんの死。乗り越えた先に獲得したメキシコオリンピックの銀メダル。4年後にオリンピックをひかえた思い出の地・東京、円谷のふるさと福島で君原さんのつかんだマラソン哲学を聞く。(NHKホームページより)

東京オリンピック

1964年10月21日に東京で開催されたオリンピック男子フルマラソン。優勝は「裸足のアベベ」の異名で知られるエチオピア出身のアベベ・ビキラ。2位を4分以上も引き離し、当時のフルマラソン世界記録の2時間12分11秒を樹立しています。2位はイギリス出身のベイジル・ヒートリー、2時間16分19秒。3位は日本の円谷幸吉、2時間16分22秒。

2位と3位はわずか4秒差。円谷選手はヒートリーより先にゴールの国立競技場に入場するも、ラストスパートでヒートリーに抜かれてしまいました。結果だけみれば円谷選手の銅メダルは充分すぎるほどの偉業ですが、ホームグラウンドで最後に抜かれてしまったことは、本人のマラソン人生に暗い影を落とします。

一方、君原健二さんはメダル獲得を有力視されていましたが、2時間19分49秒で8位入賞で終わりました。

当時の映像:YouTube

メキシコオリンピック

東京オリンピックでは思うような結果が出せなかった君原さんと、結果は出せたが大きなプレッシャーを背負ってしまった円谷さん。君原さんは4年後のメキシコオリンピックで銀メダルを獲得します。一方、円谷さんは1968年の年明けに自ら命を絶ってしまいます

1968年のメキシコオリンピックの男子フルマラソンは、エチオピア出身のマモ・ウォルデが2時間20分26秒で優勝。2位の君原さんは2時間23秒31分。3位はニュージーランド出身のマイク・ライアンが2時間23分45秒。2位と3位の差は14秒。

一時はマイク・ライアンに追い抜かれそうになり、4年前の国立競技場でのシーンが君原さんの頭をよぎります。しかし「円谷君の分も走る」と誓った君原さんは粘り強いラストスパートでマイク・ライアンを引き離し、見事銀メダルを獲得しました。

当時の映像:YouTube

メダルの背景にあるもの

メダルの色も大事ですが、メダル獲得の背景(ストーリー)も同じくらい大事だと感じました。

例えば、円谷さんが東京オリンピックで獲得した銅メダル。ラストスパートで4位から3位に追い上げていたら、同じ銅メダルでも意味合いがまったく違っていたと思います。

君原さんがメキシコオリンピックで獲得した銀メダルも、円谷さんの銅メダルと照らし合わせてみると一層輝いて見えます。

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