浦和レッズのエンブレムに秘められた謎に迫る。答えは「浦和博物館」にて

さいタメ

さいたま市の見沼田んぼから帰宅する途中、「さいたま市立浦和博物館」と書かれた看板を目にしました。

気になって立ち寄ってみると、見沼田んぼの田園風景に似つかわしくない洋館が姿を現しました。実はこの洋館、サッカーJリーグの浦和レッズのエンブレムのモチーフであり、日本人なら一度は目にしたことのある建物なんです。

もちろん、気づいていればの話ですが。。ちなみにぼくは初めて知りました。エンブレムの上部にモノクロの洋館が描かれていることを。

さいたま市立浦和博物館

博物館の名前を見ると、かなりドメスティックな風貌を想像しますが、ご覧のとおり、名前に似つかわしくないオシャレな洋風建築です。

この時期は「ちょっと昔のくらし道具展」が開催されています。中庭ではベーゴマなどの昭和の遊びが体験できるコーナーがあり、子供たちが楽しそうに遊んでいました。

浦和博物館の入館料は無料。小銭を持たずに走っていましたが、問題なく入館できました。他にもランニングウェア姿の方が2名ほどいたので、同じようにランニングの途中で立ち寄ったのかもしれません。

館内は吹き抜けになっており、開放感があります。

2階には、昔ながらの耕作道具が展示されていたり、1950年代のお茶の間の様子が再現されていたりします。 

浦和宿の歴史

1階には、中山道浦和宿の展示コーナーがありました。昨年から「中山道」を走って旅しているので親近感があります。

自分が住んでいる街の古地図もありました。大正時代は、旧中山道沿いにしか人が住んでいなかったのですね。北浦和あたりは、数軒家があるのみ。

見沼田んぼの変遷をわかりやすくまとめたコーナーもありました。江戸幕府の財政再建策の一環として、溜池だった見沼の新田開発が進められ、「見沼田んぼ」が誕生しました。意外と歴史が古いことを知って驚きました。

浦和レッズとのつながり

館内の一番目立つ場所に「サッカーと鳳翔閣」と題されたコーナーがありました。なぜこんなところに浦和レッズ?

埼玉県のサッカーは明治41年埼玉県師範学校に教師として赴任した細木志郎先生が学内に導入したころから始まります。細木先生は、自らゴールポストを材木で作るなど情熱的に学生を指導、その教えを受けた学生が教師として県内各地に赴任したことにより、サッカーが県内に広まって行き、「サッカー王国埼玉」が出現したのです。ですから、浦和レッズのエンブレムには、埼玉のサッカーのシンボルとして埼玉県師範学校「鳳翔閣」がデザインされているわけです。

厳密にいうと、浦和レッズのエンブレム描かれているのは埼玉県師範学校「鳳翔閣」です。建物は老朽化により、とっくの昔に取り壊されてしまいました。「さいたま市立浦和博物館」の建物は「鳳翔閣」を復元したものです。

ちなみに、浦和レッズの公式サイトにも、ちゃんと「鳳翔閣」のことが書かれていました。

鳳翔閣ずっとサッカーに親しんできたこの町の歴史のシンボル。明治11年(1878年)に浦和宿に建てられた端正な明治洋風建築。現在の埼玉会館のある場所に建てられていた「埼玉のサッカー発祥の埼玉師範学校校舎」。

しかし、これまでエンブレムの洋風建築に気付かなかったのには、自分でも驚きました。まさに「盲点」というやつですね。

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