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ザトペックはなぜ、インターバル走で故障しなかったのか?

ともらん

マラソンブロガーの「tomo」です。

エミール・ザトペック(1922-2000)という、1952年のヘルシンキ五輪で5000m・10000m・マラソンの3種目で金メダルを獲得した伝説の長距離ランナーがいます。

ヘルシンキ五輪に向けてザトペックは、400mインターバル走100本を2週間続けるわけですが、そんな過酷な練習でもなぜ故障しなかったのか?という疑問に答えます。

負荷の高い練習を取り入れてマラソンの自己ベストを更新したいものの、負荷をかけ過ぎて故障するのは絶対に避けたいですよね。

そんな時に参考になるのが、ザトペックの練習法。

彼の伝記によると、ヘルシンキ五輪に向けたインターバル走も森の中で行ったとのこと。

このエピソードを知ってから「とも」は不整地でのトレーニングを取り入れるようになりました。

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目次と内容

人間機関車、エミール・ザトペック

長距離陸上のレジェンド21名との単独インタビュー取材を収録した、Michael Sandrock著『Running with the Legends』を読みました。

20年以上前の古い本で日本語訳もありませんが、ビル・ロジャーズやフランク・ショーター、瀬古利彦など、マラソン史に金字塔を打ち立てたレジェンドのランニング哲学やトレーニング方法を垣間見ることができる良書でした。

その中でも、レジェン途中のレジェンドとして称賛されているのが、東欧チェコ出身の陸上選手で「人間機関車」の異名を持つエミール・ザトペック(Emil Zátopek、1922-2000)。

もともと靴工場の作業員だったザトペックは職場の運動会をきっかけに走り始め、当時はまだ画期的だった「インターバル走」を練習に取り入れて世界の頂点に上り詰めます。

前人未到の三冠

ザトペックを語る上で欠かせないのが、1952年にフィンランドで開催されたヘルシンキ五輪。ザトペックは5000m、10000m、マラソンに出場し、長距離走三種目ですべて優勝するという前人未到の三冠を果たします。

しかも5000mと10000mでは五輪記録を樹立。10000mでは1948年のロンドン五輪に続き2大会連続の金メダルでした。

マラソンはこの時が初出場。ザトペックは当時の世界記録保持者だったジム・ピーターズの後ろを走っており、15km地点を過ぎたあたりで「異変」に気づきます。

ザトペック:ねえピーターズ、今のペース速すぎない? ピータース:いいやザトペック、むしろ遅すぎるぐらいだよ。

ピーターズは英国人特有の皮肉を言ったつもりが、ザトペックは真に受けてしまい、そこから急激にペースアップ。そのまま2位を2分半も引き離し、世界記録を塗り替えてゴールします。

余談ですが、ザトペックの奥さんも陸上選手でヘルシンキ五輪では槍投げで金メダルを獲得しています。当時は「金メダル夫婦」として注目を集めたらしい。

400m×100本のインターバル走

ザトペックは「インターバル走の父」と呼ばれることがありますが、厳密にはインターバル走の産み親は別にいます。

インターバル走は1920年代に当時のマラソン強国だったフィンランドで生まれ、ザトペックが尊敬していたマラソン選手バーボ・ヌルミの練習方法からヒントを得たと言われています。

ザトペックは3000mの選手の頃から100mの全力疾走とジョギングを繰り返すインターバル走を練習に取り入れていました。

そんなザトペックを見たチームメイトから「お前は短距離選手になるつもりか?」とツッコまれ、「100mを30回走れば3kmになるよね」と言い返したそうです。

ヘルシンキ五輪に向けてザトペックが取り組んだ練習メニューは、400m×100本のインターバル走を2週間続けるというもの。

ぼくは毎日400mを100本走った。間に150mの休憩を挟んでね。午前中に50本走り、午後に50本。これを毎日、2週間続けるんだ。それは大変だったよ(本書より拙訳)

ザトペックが行った超人的なインターバル走は、ヘルシンキ五輪での偉業とともに、今でも「ザトペック伝説」として語り継がれています。ザトペックによってインターバル走は世に広まり、長距離走のトレーニング方法としての地位を確立します。

故障しないための工夫

ザトペック伝説では「400m×100本」という数字だけが一人歩きしていますが、なぜこれほど過酷な練習を行なっても故障しなかったのか、ずっと不思議に思っていました。

一流選手であれば1日に400m×100本は走れなくないが、それを2週間も毎日続けるのは至難の技。続けられたとしても、身体がボロボロになるはず。

ザトペックもそれを危惧していたらしく、だからこそ彼は、インターバル走を行う「場所」を慎重に選んでいました。

ぼくは毎日400mを100本走ったよ。400mを森の中でね。(本書より拙訳)

なるほど、森の中なら地面がフカフカして柔らかく、脚への負担も大幅に軽減できますよね。

もともとトラック選手だったザトペックは、マラソンに挑戦することに懐疑的だったと言われています。その理由は、ロードを走るマラソンは脚を痛める心配があるから。

つまり、故障を恐れ、故障しない対策を講じたことがザトペックの真の強みだったわけですね。

故障をしないこと。これに勝る練習方法はないのだと、改めて実感しました。

おまけ

このエピソードを知ってから「とも」はクロスカントリー走など不整地を使っ練習を取り入れるようになりました。

また、最近はクッション性能に優れたランニングシューズが多く、ロードでスピード練習を行う時に履くと、接地の際の衝撃を和らげることができます。

ザトペックの時代にはなかったハックですね。

ちなみに「とも」のおすすめは、ナイキの「ズームフライ」シリーズです。

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