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奥州街道・宇都宮〜白河80kmを3日間で走る旅

奥州街道・宇都宮〜白河80kmを3日間で走る旅

2021年10月に東京〜奥州を結ぶ「奥州街道」を旅ランしてきました。

栃木県宇都宮市〜福島県白河市まで約80kmの区間を3日間で走破するプラン。ちなみに東京〜宇都宮の区間は以前「日光街道」を走った時に走破しています。

道中には泉質の素晴らしい温泉が多く、ランニング&温泉&栃木の美味しいご飯が楽しめる最高の旅となりました。

当ブログでは広告を利用していますが、紹介するランニングアイテムはすべて自費で購入し、忖度なしでレビューしています。

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目次と内容

奥州街道とは?

奥州街道は、江戸(東京)と奥州を結ぶ歴史街道です。区間は、現在の東京都中央区日本橋から福島県白河市までの全長約190km。

江戸時代初期に徳川幕府によって整備され、道中には27の宿場町が置かれました。

距離最寄駅
日本橋東京駅
千住8.8km北千住駅
草加9.7km草加駅
越ヶ谷9.0km北越谷駅
粕壁(春日部)10.0km春日部駅
杉戸6.6km東武動物公園駅
幸手5.8km幸手駅
栗橋8.3km栗橋駅
中田1.6km栗橋駅
古河5.8km古河駅
野木2.7km野木駅
間々田6.7km間々田駅
小山7.4km小山駅
新田5.7km小金井駅
小金井2.6km小金井駅
石橋7.2km石橋駅
雀宮6.6km雀宮駅
宇都宮7.9km宇都宮駅
白沢11.1km宇都宮駅
氏家7.5km氏家駅
喜連川7.7km片岡駅
佐久山11.6km野崎駅
大田原7.3km西那須野駅
鍋掛11.4km黒磯駅
堀越1.1km黒磯駅
芦野8.8km黒田原駅
白坂12.1km白坂駅
白河9.7km白河駅・新白河駅

日本橋から宇都宮までは日光街道と同じルートを共有します。日光街道は宇都宮から日光東照宮を目指して北西へ進むのに対し、奥州街道は白河を目指して北東に進みます。

江戸五街道が整備されてから400年近く経ち、かつて旅人たちが行き来したルートに沿って現在の幹線道路があるわけではありません。

例えばかつての「宇都宮宿」は、JR宇都宮線から3kmほど離れています。

また、一般道から外れて未舗装の山道を通行するポイントもあります。江戸時代に使われていたルートを「旧奥州街道」または「奥州街道(古道)」と呼びます。

旧奥州街道を忠実に走りたければ『ちゃんと歩ける日光街道・奥州街道』を参考にするのがおすすめです。

旅ランの日程

本来ならば日本橋〜白河の区間を走るわけですが、2021年6月に日光街道を旅乱した時に日本橋〜宇都宮を走破しています。

そんなわけで、今回は宇都宮〜白河の約80kmの区間を3日間かけて走ります。日程は以下のとおり。

  • 宇都宮〜喜連川(26km)
  • 喜連川〜鍋掛(30km)
  • 鍋掛〜白河(30km)

宇都宮はJR宇都宮駅から3kmほど離れた「伝馬町」からスタートします。ここが日光街道と奥州街道の分岐点です。

白河は福島県白河市の「女石追分」まで走ります。ちょうど国道294号と国道4号が交わるところで、コマツ福島・白河店が目印。JR白河駅から北東へ3kmほどの場所です。

道中は荷物を背負って走り、行く先々の宿に泊まります。

1日目:宇都宮〜喜連川

初日は宇都宮宿を出発し、白沢宿、氏家宿を経て、喜連川宿まで26kmの道のり(ガーミン実測値は23km)を走ります。天気は曇り時々雨。

宇都宮

自宅から宇都宮までは東北新幹線で向かいました。大宮駅から宇都宮駅までは1時間もかかりません。

しかし宇都宮駅から奥州街道の起点の宇都宮宿(伝馬町)までは3kmほど離れています。無駄に時間とエネルギーを消耗したくないのでバスで移動します。

伝馬町からスタートし、再び宇都宮駅方面へ。途中で脇道に外れてアーケード街の「オリオン通り」を駆け抜けます。

宇都宮の中心地から離れていくと「旧篠原家住宅」と書かれた古めかしい建物を見かけました。篠原家は江戸時代から第二次世界大戦まで醤油製造業・肥料商を営んできた豪商。建物は店舗と住居部分が一体化した「店蔵」の構造を持ちます。

このような歴史遺産の横には案内板が置かれていることが多い。読むと時代背景などが理解できて面白いですし、歴史の勉強にもなります。こんな感じで、のんびり観光しながら奥州街道を進むことにします。

しばらく走り続けると、次の宿場町の「白沢」の名前が出てきました。

市街地を出て、ひたすら走り続けます。

白沢宿

宇都宮宿〜白沢宿の距離は約8kmあります。奥州街道は他の五街道に比べて、宿場間の距離が長いのが特徴です。

白沢宿では「江戸時代の公衆便所跡」が出迎えてくれた。ただの掘立て小屋で用は足せません。ここはまだ白沢宿の玄関口。

こちらが白沢宿のメインストリート。

こちらは白沢宿の本陣跡。本陣とは、宿場町の中でも最も格式の高い宿泊施設で、江戸時代には参勤交代の大名や幕府役人が泊まったところです。入口には表札があり、今でも人が住んでいる様子でした。

白沢宿を後にして、しばらく走り続けると「白沢の一里塚」に差し掛かります。一里塚とは、江戸五街道の道中に一里(約4km)毎に置かれた標識。一里塚を数えていけば、移動した距離が分かります。

白沢の一里塚は日本橋から30番目なので、東京からの距離は約120km(4km × 30)。すべての一里塚が現存しているわけではなく、こちらは「奥州街道白沢宿の会」が建てた記念碑です。

鬼怒川横断

こちらは鬼怒川の土手。一直線の歩道が延々と続いています。

しばらく走り続けると阿久津大橋に出ました。ここから鬼怒川を渡ります。専用の歩道がないため、白線の内側を注意して走りました。

今日の鬼怒川は穏やかでした。

鬼怒川を渡り切ると宇都宮県さくら市に入ります。さくら市は2005年に塩谷郡氏家町と喜連川町が合併して誕生。「tomo」が住んでいる埼玉県さいたま市も同じ平仮名なので、愛着を感じます。

氏家宿

氏家宿の玄関口に到着。

氏家宿のメインストリート。白沢宿に比べると、ぜんぜん江戸時代っぽくないですね……。

こちらは氏家宿の一角にある「寛方・タゴール平和公園」。画家の荒井寛方(1878〜1945)は氏家の出身で、こちらの公園はインドの詩人ラビンドラナート・タゴールとの交流を記念した造られたもの。

氏家宿を後にすると「滝澤家住宅」を前を通りかかります。明治に紡績業で財を成した滝澤家の邸宅で、明治天皇が訪れたこともある地元の名刹。寄り道する時間がなかったので、そのままスルー。

古道

住宅地を抜けて、周りが田んぼだらけの幹線道路を進んでいきます。途中で脇道に外れて坂道を上っていくと「早乙女坂古戦場」の看板が立っていました。階段を上ってみましたが、古ぼけた小屋以外は何もありません。

さらに脇道を進んでいくと「奥州街道(古道)」と書かれた看板を発見。一般道をそのまま進むのも良いが、昔の旅人が行き来したルートを忠実にたどりたければ、こちらの山道を進むしかありません。

古道を走る様子を動画で撮影しました。

喜連川宿

古道から一般道に戻り、しばらくすると荒川を渡ります。荒川といっても、首都圏を流れる荒川とは別物ですが、埼玉県民としては親しみを感じる名前です。

荒川を渡った先は喜連川宿。

宿場町のメインストリートはこんな感じ。

こちらは大正時代に建てられた喜連川銀行の建物(跡)です。

初日の旅はここまで。宿は喜連川宿から1kmほど離れた場所にある「かんぽの宿 栃木喜連川温泉」にお世話になりました。

喜連川温泉は、佐賀の嬉野温泉と島根の斐乃上温泉と並ぶ「日本三大美肌湯」のひとつ。宿の温泉は文句なしに最高だったが、食事の方は値段の割にイマイチでした。

2日目:喜連川〜鍋掛

2日目は喜連川宿を出発し、佐久山宿、大田原宿を経て、鍋掛宿まで30kmの道のり(ガーミン実測値は28km)走ります。天気は曇り。

大谷石の蔵

喜連川宿を後にして、栃木県道114号佐久山喜連川線を北進します。途中、古道のような山道があるはずですが、私有地で入れず、やむなく一般道を走ります。

季節は、収穫の秋。黄金色に輝く田んぼを眺めながらのんびりと走り続けます。

この辺りの住宅には、どの家にも大谷石で造られた蔵があります。重厚感があってカッコいい。

栃木県大田原市に入ました。大田原といえばブランド牛の「大田原牛」が有名ですよね。でも旅ランの途中にビーフステーキは重すぎるかな……。

佐久山宿

本日最初の宿場町「佐久山宿」に到着。日曜日の午前中だからか、あまり人を見かけません。

宿場町の見どころは公衆便所。

というのは冗談ではなく、こちらの公衆便所には「与一の里大田原」の壁画があります。与一といえば『平家物語』で扇の的を射抜く那須与一のこと。この壁画も『平家物語』の屋島の戦いでのワンシーンを描いていました。

那須与一はこの辺りの出身なんだとか。

大田原宿

佐久山宿〜大田原宿の距離は7kmほど。周りの景色を楽しみながら走っていると7kmなんてあっという間です。こちらは大田原宿のメインストリート。

大田原信用金庫の隣に那須与一の銅像が建っていました。街全体で那須与一を推しているのでしょうか。

こちらは交差点にある「金燈籠ポケットパーク」。水飲み場とベンチがあったので、ここでひと息つきました。

大田原神社と大田原城址公園

宿場町から少し離れた場所に「大田原神社」が鎮座します。今日は時間に余裕があるので、境内を散策してきました。

ついでに神社の隣の「大田原城址公園」も訪れましたが、こちらはこれといった見どころなし。なぜかデート中の老夫婦のカップルが多かったですね。

大田原城址公園を後にして蛇尾川を渡ります。蛇尾と書いて「さび」と読み、栃木の方言で「斎日」を意味するらしい。

那須塩原市

こちらは大田原の一里塚。江戸時代には街道の両脇に建っていたそうですが、今は片方しか残っていません。しかも道路工事のため約1.5m後方に移築されています。

しばらく走り続けると那須塩原市に入ります。那須は地元さいたま市からアクセスしやすく、家族を連れて日帰り旅行によく訪れますが、今回走るルートは那須の東側。観光客で賑わうリゾート地から少し離れています。

鍋掛宿

鍋掛宿に近づくと「鍋掛の一里塚」に差し掛かります。こちらは階段を上った丘の上にあり、遠く離れた場所からでも見えました。日本橋から41番目の一里塚で、距離にすると約160km。

その隣には「愛宕神社」、別名「鍋掛神社」の鳥居がありますが、なんか怖い……。足を踏み入れてはいけない「気」を感じたので、お参りはせずにその場を後にしました。

しばらくして今日の目的地である鍋掛宿に到着。

宿場町の真ん中には松尾芭蕉の句碑がありました。「野を横に 馬牽きむけよ ほととぎす」 。

今日の宿は「那珂川温泉 ホテルアライ」。隣に天然温泉施設「皆幸乃湯」があり、ホテルの浴場にもこちらのお湯を引いています。鍋掛宿周辺の宿泊施設はここしかなく、フロントの方の話だと僕みたいに奥州街道を旅する人たちがよく訪れるそうです。

3日目:鍋掛〜白河

最終日の3日目は鍋掛宿を出発し、越堀宿、芦野宿、白坂宿を経て、白河宿まで30kmの道のり(ガーミン実測値は29km)を走ります。天気は曇り後晴れ。

早起きして、8時前にはホテルを出発しました。ホテルから鍋掛宿までは3kmほど離れています。

街道を走る以外になるべく無駄なエネルギーは使いたくありませんが、歩くと40分ほどかかるので、15分で走り、ようやくスタート地点にたどりつきました。

越堀宿

鍋掛宿〜越堀宿は那珂川を挟んで約1kmしか離れていません。昔は川を渡るのはひと苦労だったため、対岸の二宿は一宿として機能していたらしいです。他にも日光街道・奥州街道では、利根川を挟んだ栗橋宿と中田宿がワンセットになっていました。

こちらは那珂川にかかる「あじさい橋」。ちょうど工事中でした。越堀宿には目印になるようなものがなく、そのままスルー。

那須町

越堀宿より先はアップダウンの多い道が10kmほど続きます。

こちらは寺子の一里塚。江戸時代には現在から50mほど離れた場所にあり、小学校の建設のために消滅しました。現在の塚は近年復元されたもの。

こちらは「弁慶の足踏み石」と呼ばれる巨石。左下が欠けているのは、源義経が奥州街道通り平泉へ落ち延びる際、弁慶が踏んでしまったからと言い伝えられています。

しばらく走り続けると那須町に入ります。途端に雲が晴れて気温がぐんぐん上がってきました。

芦野宿

途中で「芦野温泉」の看板を見かけました。那須周辺はいろんな温泉があるので、今度家族を連れてゆっくり訪れたいですね。

山道を抜けると本日2つ目の宿場町となる芦野宿に入ります。

宿場町の一角にあるこちらの建物は「石の美術館」。隈研吾さんの設計で、前から気になっていたのですが、芦野宿にあったとは。しかし残念ながら月曜日の今日は休館日でした。

幹線道路に出て、白坂宿を目指します。

板屋の一里塚

芦野宿〜白坂宿の距離は約12kmと奥州街道の最長区間。道中には数多くの記念碑が点在します。こちらは岩倉右大臣の歌碑。岩倉右大臣は幕末〜明治の偉人、岩倉具視。

そしてこちらは「べこ石の碑」。この巨石に全文19段、約3500文字が刻まれています。

経年劣化でほとんど読めません。

しばらく進むと「板屋の一里塚」に差しかかります。街道の両側に目印となる木が立っていますが、右側は手入れされているのに対し、左側は木で生い茂っているためよく見えません。

たまたま土地の所有者の方がいらしたので雑談すると、面白い話が聞けました。その方は左側の土地の所有者なのですが、一里塚を手入れをする体力がなく、役場に支援をお願いするも私有地なので断られたとのこと。

一里塚のような歴史遺産は行政が管理していると思い込んでいましたが、実際は土地の所有権によって異なるのですね。勉強になります。

ちなみに次の「泉田一里塚」は行政が支援しているらしく、手入れが行き届いていました。

福島県へ

さて、今回の旅もそろそろ終盤に近づいてきました。栃木県を後にし、福島県白河市に入ります。

白坂宿

長い道のりを経て、白坂宿にたどりつきました。

宿場町のメインストリートには江戸時代の面影は残っていませんが、写真のように元々どんな建物があったかを記す石碑が立っています。

こちらは白坂宿の脇本陣跡。と言っても田んぼしかありませんが。

観音寺の正面に白坂宿の記念碑を発見。

目的地の白川を目指してひたすら走り続けます。

白河宿

白河宿に近づくと「戦死墓」と書かれた記念碑を見かけました。この辺りは戊辰戦争の激戦地で多くの兵士が命を落としたそうです。

白河宿のメインストリート。

道中にはこんな案内板があり、名所めぐりをするのに役立ちます。

こちらは奥州白河宿公園。

白河宿は奥州街道最後の宿場町ですが、まだ続きがあります。白河宿を後にして、国道294号を北進します。

そして一級河川の阿武隈川を渡り、国道4号と交差する場所を目指します。

女石追分

国道294号が国道4号にT字交差する場所が今回の旅の終着点。「女石追分」という名称で知られています。

女石追分の脇道を斜めに入っていくと「遊女志げ女の碑」がある。ここにて2泊3日の旅が終了。

女石追分からは、白河駅→新白河駅に向かい、東北新幹線に乗って地元の大宮駅まで戻りました。

おまけ

今回の旅ランでは2泊3日分の荷物を背負って走りました。ランニングバッグはサロモンの「SENSE PRO 5」を使用。

荷物を直に入れると汗や雨で濡れてしまうため、ジップロックに分けて収納するのがおすすめです。整理整頓もできて一石二鳥です。

背面のサブ収納には、細長く畳んだレインウェアを横串で収納しました。突然雨が降り始めたら、サッと取り出せます。

最後までお読みいただき有難うございます。この記事はマラソンブロガーのtomo.が書きました。当ブログでは紹介するランニングアイテムはすべて自費で購入し、忖度なしでレビューしています。