旅ランニング|中山道・日本橋〜下諏訪200kmの旅

2016年から2018年にかけて、東京〜京都を結ぶ「中山道」を旅ランしてきました。

東京都中央区の日本橋から長野県諏訪郡の下諏訪まで、約200kmの区間を9回に分けて走るプランです。

道中は大宮や熊谷、高崎や軽井沢をはじめ29の宿場町を訪れ、碓氷峠や和田峠などの難所に挑みました。

目次と内容

中山道とは?

中山道は、江戸(現・東京都日本橋)とら京都の三条大橋を結ぶ歴史街道です。

江戸時代には約530kmの道中に69の宿場が置かれていたため「中山道六十九次」の名称でも知られています。

太平洋側のルートで東京と京都を結ぶ東海道に対し、中山道は内陸側の埼玉県〜群馬県〜長野県〜岐阜県〜滋賀県を経由し、、宿場町の数は16宿多く、距離は30kmほど長くなっています。

69の宿場町は以下のとおりです。

  • 東京都:日本橋 ⇒ 板橋 ⇒
  • 埼玉県:蕨 ⇒ 浦和 ⇒ 大宮 ⇒ 上尾 ⇒ 桶川 ⇒ 鴻巣 ⇒ 熊谷 ⇒ 深谷 ⇒ 本庄 ⇒
  • 群馬県:新町 ⇒ 倉賀野 ⇒ 高崎 ⇒ 板鼻 ⇒ 安中 ⇒ 松井田 ⇒ 坂本
  • 長野県:軽井沢 ⇒ 沓掛 ⇒ 追分 ⇒ 小田井 ⇒ 岩村田 ⇒ 塩名田 ⇒ 八幡 ⇒ 望月 ⇒ 芦田 ⇒ 長久保 ⇒ 和田 ⇒ 下諏訪 ⇒ 塩尻 ⇒ 洗馬 ⇒ 本山 ⇒ 贄川 ⇒ 奈良井 ⇒ 藪原 ⇒ 宮ノ越 ⇒ 福島 ⇒ 上松 ⇒ 須原 ⇒ 野尻 ⇒ 三留野 ⇒ 妻籠 ⇒
  • 岐阜県:馬籠 ⇒ 美濃 ⇒ 落合 ⇒ 中津川 ⇒ 大井 ⇒ 大湫 ⇒ 細久手 ⇒ 御嵩 ⇒ 伏見 ⇒ 太田 ⇒ 鵜沼 ⇒ 加納 ⇒ 河渡 ⇒ 美江寺 ⇒ 赤坂 ⇒ 垂井 ⇒ 関ヶ原 ⇒ 今須 ⇒ 近江
  • 滋賀県:柏原 ⇒ 醒井 ⇒ 番場 ⇒ 鳥居本 ⇒ 高宮 ⇒ 愛知川 ⇒ 武佐 ⇒ 守山 ⇒ 草津 ⇒ 大津 ⇒ 山城
  • 京都府:三条大橋

中山道は今でも幹線道路として機能していますが、必ずしも江戸時代の旅人が行き来したルートと同じではありません。

例えば東京〜高崎区間は国道17号が中山道と呼ばれていますが、国道は明治時代以降に整備されたもので、江戸時代の中山道とはルートがやや異なります。

今回は、なるべく江戸時代のルートに近い「旧中山道」に沿って走ります。

余談ですが「tomo」の自宅は浦和と大宮の間の旧中山道沿いにあります。旅ランで自宅の前を走るのが楽しみです。

旅ランの日程

できれば東京〜京都を一気に走るのが理想ですが、毎日40km走っても14日間かかります。平日は会社勤めなので、さすがにそこまでまとまった休みは取れません。

そこで、中山道をいくつかの区間に分割し、仕事が休みの日に日帰りで走ることにしました。

その日の旅ランを終えたら自宅に戻り、次の旅ランの時は前回終了したところから走り始めるというプランです。

実際には、長野県の下諏訪にたどり着くまでに1年以上もかかりました。

  • 2016年8月1日:日本橋〜浦和
  • 2016年8月13日:浦和〜鴻巣
  • 2016年9月2日:鴻巣〜熊谷
  • 2016年12月1日:熊谷〜深谷
  • 2016年12月4日:深谷〜高崎
  • 2017年4月17日:高崎〜安中
  • 2017年5月1日:安中〜沓掛
  • 2017年10月8日:沓掛〜八幡
  • 2018年11月11日:八幡〜下諏訪

当初は京都まで走る予定でしたが、やはり一気に走らないと気持ちが途切れてしまいますね…。下諏訪以降は走っていません。

日本橋〜浦和

初回は中山道の起点である「日本橋」から3番目の宿場町「浦和」まで22kmの道のりを走りました。

  • 出発:日本橋宿(東京都中央区)
  • 終着:浦和宿(埼玉県さいたま市浦和区)
  • 走行距離:22km
  • 所要時間:約3時間

日本橋

日本の道路網の起点である日本橋の「道路元票」。東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道の江戸五街道はここから始まります。

日本橋三越の横からスタートし、JR神田駅のガードレール下を抜けて、江戸時代からある「昌平橋」を目指します。

昌平橋から坂を駆け上がると神田明神の緑の鳥居が見えました。昔、文京区に住んでいた頃はよくお参りにきました。神田明神の鮮やかな朱色はいつ見ても美しいですね。

神田明神の向かい側には、江戸時代に作られた学問の聖地、湯島聖堂があります。黒を基調とした落ち着いたデザインは、神田明神とは対照的です。

片側一車線の本郷通りを進んでいくと、緑豊かな東京大学の本郷キャンパスと赤門の前を通り過ぎます。

東大の前にある「本郷追分」はかつて、中山道と日光御成道の分岐点でした。今回はここから旧白山通りを走ります。

途中から片側三車線の白山通りに合流します。排気ガスにまみれながらJR巣鴨駅に到着。そこから国道17号から外れて巣鴨地蔵通り商店街に入ります。別名「おばあちゃんの原宿」の商店街は旧中山道の一部だったのですね。

途中、荒川都電の踏切を横断します。三ノ輪行きの車両がちょうど庚申塚駅に停車中でした。

今度はJR埼京線の踏切を横断してJR板橋駅へ。そこから「滝野川銀座商店街」を駆け抜けます。

板橋

JR板橋駅から滝野川銀座商店街を走ること3分、国道17号(とその上を走る首都高環状線)を渡った先に「板橋宿不動通り商店街」の入口があります。「板橋宿」の看板もありました。

ここ板橋には中山道で最初の宿場町がありました。こちらは板橋の地名の由来となった橋。現地の案内板によると板橋の名称は鎌倉時代からあったそうです。

板橋だから板状の橋なのかと思いきや、江戸時代の板橋は「太鼓状の木製の橋で、長さは9間(16.2M)、幅3間(5.4M)」とのこと。ちなみに現在は、フラットな橋にアスファルトが敷き詰められています。

都営地下鉄の志村坂上駅の交差点で志村一里塚を発見。日本橋から3里。1里は約4kmなので、12kmほど走ってきたこ計算になります。

志村一里塚を後にして、国道17号と合流。この辺りは交通量が多く、排ガスが気になります。しばらく走り続けると、東京都の北端までたどり着きました。ここから戸田橋を渡って荒川の対岸、埼玉県戸田市に向かいます。

蕨(わらび)

ひたすら国道17号を進んでいくと「中山道 蕨宿」の標石を発見。右手に細い道路があり、こちらが旧中山道の蕨宿の入口です。

かつて蕨宿として栄えた宿場町は、今や閑静な住宅街となっています。黒松の並木道を進んでいくと、所々に宿場町の面影残す建物があります。

蕨宿を後にすると、国道17号を横断し、県道79号を道なりに進みます。途中で「東京外環自動車道」の下を通過。

県道213号を直進して浦和宿に近づくと、調神社という変わった名前の神社の前を通ります。調は「つき」と読み、月つながりで「うさぎ」にちなんだ神社です。入口では狛犬ではなく、狛ウサギが出迎えてくれます。

こちらは調神社の手水舎。ここにも大きなウサギがいました。脱水症状になりそうだったので、水を恵んでもらおうかと思いましたが「水汲み禁止」の張り紙が……。しかたなく神社の外の自販機でペットボトルの水を買いました。

浦和〜鴻巣

今回の旅ランでは、中山道3番目の宿場町「浦和」から、7番目の宿場町「鴻巣」まで、25kmの道のりを走ります。

  • 出発:浦和宿(埼玉県さいたま市浦和区)
  • 終着:鴻巣宿(埼玉県鴻巣市)
  • 走行距離:25km
  • 所要時間:約4時間

浦和

土曜の午前10時前。人も車もまばらな浦和駅前交差点からスタートします。国道17号の中山道とは違い、こちらの旧中山道は片側一車線のローカル感あふれる道路です。

こちらは旧中山道沿いにいる行商のおばちゃん。よく見ると、銅像でした。戦国時代から昭和初期まで、この地では市場が開かれていたそうです。

浦和といえばJリーグ「浦和レッズ」の本拠地。浦和区の旧中山道沿いはサッカー色が強く、街路灯には浦和レッズのフラグが掲げてあります。

北浦和に向かう途中で線路を横断します。こちらは京浜東北線、宇都宮線、高崎線が行き来する埼玉県の大動脈。朝晩のラッシュアワーは1分間に3〜4本の列車がビュンビュン通り過ぎます。

北浦和駅の近くでは、自宅の目の前を通り過ぎます。妻と娘たちに通過時間を伝えたはずなのですが、応援(?)は見当たらず……。そのまま寂しく通り過ぎました。

県道164号の旧中山道を直進すると、大宮区に入ります。埼玉県の二大都市である大宮と浦和は「因縁のライバル」と言われていますが、個人的にはその中間にある、さいたま新都心が好きです。

駅周辺はきれいに整備されていますし、駅前にはヨドバシカメラや大型ショッピングモールがあり、生活に必要なものがすべて揃います。

旧中山道を走っていると、何やら強烈な視線を感じました。正体はモナ・リザでした。

モナ・リザの視線の先には、赤い鳥居があります。こちらは埼玉県随一のパワースポットとして有名な大宮氷川神社の参道口。ここから氷川神社まで2キロほど、緑のトンネルの参道が続きます。

大宮

中山道4番目の宿場町「大宮」

大宮駅に到着しました。

ペデストリアンデッキが整備された西口とは違い、東口は昔からゴチャゴチャしています。こちらは東口商店街の一角。ここ大宮は大宮アルディージャFCのお膝元なので、オレンジ一色です。

大宮駅の先、JR宮原駅でちょっと寄り道してきました。

しばらく旧中山道を走り続けると、トトロの森のような一帯に差し掛かります。あふれんばかりの樹木が、道路にはみ出しています。中をのぞいてみると加茂神社でした。

上尾を目指して旧中山道をひたすら進みます。「県道鴻巣・桶川・さいたま線」ってえらい長い名前ですよね……。

JR上尾駅の手前で神社を発見。上尾宿の鎮守、氷川鍬(くわ)神社です。安全祈願のお参りをして、境内を散策してきました。

こちらはJR上尾駅。上尾といえば毎年11月に開催される「上尾シティハーフマラソン」が有名ですよね。

上尾駅を後にして走り続けると「中山道 上尾宿」の標石を見つけました。近くには案内があり、上尾の地名について「歴史的な根拠を持つものはありませんが、鴨川と芝川の間の小高い地形からつけられたといわれています」と書いてありました。

桶川

桶川市に入ると、旧中山道の至るところに「ベニバナ」の文字を見かけます。街路灯のフラッグにも「中山道桶川宿 べにばなカード」と書かれていました。

桶川はかつて山形に次ぐ紅花の一大産地であり、桶川市では紅花をシンボルとした街づくりを行っています。

桶川には古い建物が現存しており、こちらは蔵造りの商家、矢部家の家です。

そしてこちらは、江戸時代末期に建てられた旅籠。旅人たちの宿ですね。その後木材商の小林家の住居となり、今では国登録有形文化財となっています。

途中、圏央道を横断します。江戸時代の幹線道と現代の幹線道が交差する場所です。

JR北本駅と鴻巣駅の間に馬室原一里塚があります。ただし旧中山道(県道164号)から離れた場所にあり、見つけるのにひと苦労しました。

塚は小山という感じで、田んぼの真ん中に土が盛られています。塚の上には「史跡 一里塚」と刻まれた標石がありました。

鴻巣〜熊谷

今回の旅ランでは、中山道7番目の宿場町「鴻巣」から、8番目の宿場町「熊谷」まで、15kmの道のりを走りました。

  • 出発:鴻巣宿(埼玉県鴻巣市)
  • 終着:熊谷宿(埼玉県熊谷市)
  • 走行距離:15km
  • 所要時間:約3時間

鴻巣

鴻巣には埼玉県警運転免許センターがあり、埼玉県民なら一度は訪れたことがあると思います。

我が家も妻の免許更新のため今年の5月に来たばかり。3月には「鴻巣パンジーマラソン」を走りました。今年は何かと鴻巣に縁があります。

午前9時半、JR高崎線の鴻巣駅に到着。駅前に出ると、世界ギネスブックにも登録された世界最大の四尺玉花火と煙火筒が出迎えてくれました。

鴻巣駅から徒歩5分で旧中山道の鴻巣宿に到着。今日はここからスタートします。標石を見ると「熊谷宿まで四里六町十六・四軒」と書いてあるので、16kmぐらいですかね。

走り始めてすぐに鴻巣神社の前を通ります。

鴻巣〜熊谷のルートは「追分」よ呼ばれる分岐点が多く、道に迷わないように標石が置かれています。

この辺りは地名そのものが「追分」となっています。

近くには江戸時代の地図がありました。昔は何もなかったのですね。

こちらもある意味標識です。白いガムテープにマジックで書かれたものですが。

途中、、武蔵水路と呼ばれるる一級河川を横断します。 しばらく走り続けると、ちょっと変わった用水路を発見。なぜかこのように2つに分かれています。利根川から荒川に導くための水路で、東京・中西部地域への水供給に欠かせないのだとか。

県道365号を直進し、JR吹石駅を通り過ぎて、小道に入ります。

吹上神社の先で陸橋を渡り、JR高崎線の線路を横断します。

ちなみに江戸時代はこんな感じでした。鴻巣宿から熊谷宿までの距離が16kmとあまりにも長いので、この辺りには吹上宿と呼ばれる「間の宿」があったそうです。

しばらく閑静な住宅街を走り続けると、荒川の土手に出ました。旧中山道は土手の下ですが、せっかくなので土手の上のサイクリングロードを走ります。開放感があって気持ち良いです。

途中、決壊の碑の横を通り過ぎます。荒川は古来から「荒れる川」として知られ、たびたび洪水により周辺住民を苦しめてきました。まだまだ万全ではなく、堤防や護岸などの整備が進められています。

再び住宅街に戻ると、東竹院の看板を発見。時間に余裕があったので、東竹院を見学してきました。開創1191年と歴史が古く、江戸時代の旅人も立ち寄ったのでしょうか。

熊谷駅に近づくと、八丁の一里塚跡に差し掛かりました。一里塚はなく、小さな公園になっていました。

熊谷〜深谷

今回の旅ランでは、中山道8番目の宿場町「熊谷」から、9番目の宿場町「深谷」まで、10kmの道のりを走ります。

  • 出発:熊谷宿(埼玉県熊谷市)
  • 終着:深谷宿(埼玉県深谷市)
  • 走行距離:10km
  • 所要時間:約2時間

熊谷

午前9時半に自宅を出て、大宮駅から上越新幹線で熊谷駅まで移動します。乗車時間はわずか13分。速いですね。

熊谷駅北口にはラグビーボールの上にラガーマンが乗ったモニュメントを発見。ここ熊谷はラグビーの街として知られており、2019年にはラグビーワールドカップが開催される予定です。

駅前には熊谷直実像もありました。

国道17号線に出て、旧中山道に合流します。東京の日本橋から66km。近くには熊谷宿本陣跡の標識が立っています。

本陣跡の先には、地元では有名な八木橋百貨店というデパートがあります。

こちらの建物は旧中山道の真ん中に建てられているため、館内には「中山道」の標識があります。

しばらく国道17号と合流したり離れたりを繰り返しながら深谷を目指します。

こちらは深谷市公式キャラクター「ふっかちゃん」です。深谷に近づくと、自動販売機に限らず、いろんな看板やポスターで「ふっかちゃん」を目にします。

深谷宿に入ると旧深谷宿常夜燈を発見。こういう史跡は注意しないと見落としてしまいがちです。

今回は本庄まで走りつもりでしたが、急用が入ってしまい、深谷駅から高崎線で自宅に戻ります。ちなみに深谷駅の駅舎は東京駅に似ているので、「ミニ東京駅」とも呼ばれるそうです。

深谷〜高崎

今回の旅ランでは、中山道9番目の宿場町「深谷」から、13番目の宿場町「高崎」まで、26kmの道のりを走ります。

  • 出発:深谷宿(埼玉県深谷市)
  • 終着:高崎宿(群馬県高崎市)
  • 走行距離:26.7km
  • 所要時間:約4時間

深谷

JR深谷駅前の青淵公園で渋沢栄一に挨拶してきました。ここ深谷は渋沢栄一が生まれ育った土地です。

深谷駅を後にしてしばらく走り続けると、国道17号線に合流します。東京の日本橋から80km。次の本庄宿まであと8kmです。

国道17号線から旧中山道の細道に入ろうとすると、真っ赤なバスを発見!廃車したバスをラーメン屋として再利用している「バスラーメン」です。「営業時間は17時半~気分次第 日よう休み」と書いてあるけど、本当に営業しているのでしょうか。

途中、手作りの道案内を発見。このあたりは道に迷いやすいので助かります。

国の登録有形文化財の「滝岡橋」を通り、小山川を渡ります。

本庄市に入ると、本庄市公式キャラクターの「はにぽん」がお出迎え。深谷市の「ふっかちゃん」にライバル意識を持っているのか、自動販売機にもしっかり使われていました。

本庄

本庄宿では休憩を兼ねて、本庄市役所の隣にある本庄城跡に寄り道してきました。

再び旧中山道に戻ると「電気館カレー」なるレストランを発見。ビビッとくる辛さなんでしょうか。先ほどの「バスラーメン」といい、個性的なお店が多いですね。

途中、レンガ造りの立派な建造物を発見。こちらは旧本庄商業銀行のレンガ造りの倉庫ですが、ちょうど改修工事中で中には入れませんでした。

こちらは金鑚(かなさな)神社です。休憩を兼ねて境内を散策してきました。

次の新町宿へ向かう途中、中山道の宿場町をモチーフにしたタイルが歩道に埋め込まれていました。

こちらは浅間山古墳です。直径約38メートル、高さ6メートルの円墳があったそうです。

埼玉県と群馬県の県境にある神流川(かんながわ)にたどりつきました。橋の麓には「見透灯籠」と呼ばれる常夜灯が置かれています。

神流川を渡り切ると、群馬県に入りました。次の新町宿まであと400mです。

こちらはラスクで有名な「ガトーフェスタ ハラダ」の本社工場です。平日は工場見学もできるようです。

「新町検問所」と書かれた珍しい建物を発見。昭和の遺物ですかね。

新町

八坂神社の一角に柳茶屋の芭蕉句碑がありました。

傘(かさから)におしわけみたり柳かな 

新町宿にはこれといった見どころはなく、強いて言えば、明治時代に明治天皇が宿泊された明治天皇行在所ぐらいでしょうか。

今日は寄り道ばかりしているので、少しペースを上げて高崎を目指します。関越自動車道の下をくぐり抜けて、烏川沿いの集落を駆け抜けます。

途中で「中山道 倉賀野宿」と書かれた標識を発見。

烏川の土手に上がりサイクリングロードを走ります。

市街地に入ると、倉賀野宿までもうすぐ。こちらは道標の常夜灯です。ここは中山道と日光例幣使街道の交差点でもあり、常夜灯には「右江戸道 左日光道」と書かれていました。

倉賀野

こちらは旧中山道沿いにある「倉賀野古商家おもてなし館」。古商家の家を高崎市が譲り受け、無料の休憩所として開放しているそうです。

かつて倉賀野宿の本陣があった辺りに、高札場を見つけました。こちらの掲示板は、江戸時代のキリスト教禁止令に基づき、キリスト教徒を見つたら懸賞金がもらえるという内容です。

江戸時代のキリスト教禁止令は歴史の教科書で学びましたが、(レプリカですが)こういう史跡を訪れると、禁止令の生々しさが実感できます。

高崎市の市街地に入ると「上武大学 箱根駅伝出場!」のデカデカとした看板を見かけました。2017年の箱根駅伝で9年連続の出場となります。

今日の旅ランはここまで。高崎駅西口から徒歩20分ほどの「さくらの湯」で汗を流してきました。キャッチコピーは「街中で唯一の源泉かけ流し、高崎市最古の天然温泉」。泉質はヌルッとしていて気持ちよかったです。

サッパリした後は、JR高崎駅へ戻り、JR高崎線で大宮へ戻りました。

高崎〜安中

前回の旅ランからしばらく間が空いてしまいましたが、今回は中山道13番目の宿場町「高崎」から、15番目の宿場町「安中」まで、10kmの道のりを走ります。

  • 出発:高崎宿(群馬県高崎市)
  • 終着:安中宿(群馬県安中市)
  • 走行距離:10.8km
  • 所要時間:約2時間

高崎

走り始める前に高崎城跡を訪れました。城跡といっても天守閣や建物が残っているわけではなく、石垣とお堀の一部が残っているだけです。こちらは北村西望作「将軍の孫」。あの「長崎平和祈念像」を制作した彫刻家の作品です。

それでは旧中山道の「田町通り」から走り始めます。

しばらく住宅街の中を走り続けると、烏川に到着しました。こちららは「きみがよはし」と書かれた標石。もともと石橋の親柱で、橋を架け替えた時に移築したものだそうです。

これから烏川を渡り、国道18号と合流しますが、すぐに外れて住宅街へ入ります。

この辺りではだるまの製造所をよく見かけます。高崎はだるまの名産地ですからね。

再び国道18号と合流し、碓氷川沿いの土手の上を走ります。ちょうど桜が満開を迎えていました。

日本橋から28里(約112km)、藤塚の一里塚でひと休み。群馬県で現存する唯一の一里塚で、県指定史跡に登録されています。

しばらく走り続けると、突然だるまが姿を現しました。

碓氷川の対岸には少林山達磨寺という有名なお寺があります。

少林山達磨寺の門をくぐり、長い階段を登っていきます。旅ランの途中なので無駄に体力を消耗したくないのですが、観光も旅のうちですからね。

こちらが本堂。

達磨が山積みになっていました。近づいてみると迫力あります。

少林山達磨寺の隣には洗心亭という日本家屋があり、世界的な建築家ブルーノ・タウトが住んでいたことで知られています。

再び旧中山道に戻り、群馬県安中市を目指します。

板鼻

高崎駅と横川駅を結ぶJR信越本線の踏切を横断すると、板鼻宿に入ります。

江戸時代の面影はありませんが、右の「板鼻館」と書かれた建物は、かつての旅籠なんだとか。

板鼻公民館の前に「板鼻宿本陣跡」の標識を発見。江戸時代はこの辺りが板鼻宿の中心でした。

しばらく走り続けると、鷹之巣橋を通って碓氷川を渡ります。

高崎〜安中の区間では、以下のような廃屋をよく見かけました。

安中〜沓掛

今回の旅ランでは、中山道15番目の宿場町「安中」から、19番目の宿場町「沓掛」まで、33kmの道のりを走ります。

  • 出発:安中宿(群馬県安中市)
  • 終着:沓掛宿(長野県北佐久郡軽井沢町中軽井沢)
  • 走行距離:33.0km
  • 所要時間:約6時間

安中

スタート地点の安中宿(あんなかしゅく)は、現在のJR安中駅が最寄駅。大宮駅→高崎駅まで北陸新幹線で向かい、高崎駅→安中駅は信越本線で移動しました。

安中駅の隣には日本を代表する非鉄金属メーカー、東邦亜鉛株式会社の安中精錬所があります。

旧中山道を走っていると安中藩武家長屋に差し掛かります。こちらは藩士が暮らしていた長屋を修理復元したものです。

安中宿を走っていると、至るところで「日本マラソン発祥 安政遠足」と書かれたのぼりを目にします。

安政遠足は「あんせいとおあし」と読みます。江戸時代には藩士が安中城門から碓氷峠の熊野権現神社までマラソン大会があったそうです。

たまたまですが、今日自分が走ろうとしているコースですね。

こちらは新島襄旧邸。新島襄は安中藩士の子として江戸に生まれ、21歳で渡米してキリスト教徒となります。帰国後は父母の住む安中に戻り、ここを拠点にキリスト教を伝導しました。

旧中山道を進んでいくと安中原市の杉並木を通ります。江戸時代には700本を超す杉の木がズラッと並んでいたそうですが、ほとんどが枯死してしまい現在はわずか14本しか残っていません。

次の松井田まであと5.4km。

ゆるやかな上り坂が続きます。後で安中宿〜松井田宿の走行データを確認したら、獲得高度が130mもありました。国道18号と合流する交差点で「安政遠足」と書かれた看板を発見。ここから脇道に入ります。

途中、妙義山が姿を現しました。

松井田

安中宿から9.6km、中山道16番目の宿場町の松井田宿に到着しました。かつてはお米の流通で栄え「米宿」とも呼ばれたそうです。

ゆるやかな上り坂をひたすら進んでいきます。

旧中山道沿いには、「道祖神」と書かれた石碑をよく目にします。わかりやすく言うと、交通安全のお守りですね。

途中で「交通規制 5月14日 安政遠足マラソン」の看板を見かけました。毎年5月に開催される「安政遠足マラソン」では、安中城址(武家長屋)から碓氷峠の熊野神社までの28.97キロを走る「峠コース」と、安中城址から坂本宿までの20.15キロを走る「関所・坂本宿コース」があります。

しばらく走り続けると五料の茶屋本陣・お西と書かれた看板を目にしました。旧中山道から歩いて100メートルほどのところに入り口があります。

こちらは五料の茶屋本陣・お西の建物。群馬県指定史跡でもあります。建物の中は歴史資料館となっており、5月人形や古地図、高札などが展示されていました。

こちらは五料の茶屋本陣・お西の近くで見つけた空釜石というものです。巨石の上に小さな石が置いてあり、江戸時代の旅人が叩いたら茶釜のような音がしたそうな。

実際に叩いてみると、「コーン」と中で響くような音が出ました。

横川駅に近づくとSL蒸気機関車の「シュシューッ」という轟音が聞こえてきました。

ちょうど昼時だったので、横川駅前で日本最古の駅弁「峠の釜飯」をいただきました。

お店の中でも食べることができますが、汗でびしょ濡れだったので、売店の横にあるテントでいただきました。

横川駅前には登山電車の車輪が飾られていました。全国JR路線のなかで最大の難所と言われた信越本線横川〜軽井沢間で活躍した「EF63-3号」機関車の車輪です。

再び旧中山道を走ります。このあたりは「入鉄砲に出女」を取り締まるため、江戸時代には碓氷関所が設けられていました。こちらは昭和になって復元されたものです。

坂本

松井田宿から9.5km、中山道17番目の宿場町である坂本宿に到着しました。坂本宿は今もなお宿場町らしさを残しています。

古い建物が数多く残っていますし、それぞれの建物には江戸時代の「屋号」が掲げられています。例えば、こちらは坂本公民館の建物ですが、入口に「脇本陣 酒屋」と書かれた標識を掲げています。

こちらは現地で見つけた「坂本宿屋号一覧」。これから立ちはだかる碓氷峠は中山道最大の難所ということで、江戸時代は旅人たちで相当賑わっていたみたいですね。

碓氷峠を越える前に八幡宮で安全祈願のお参りをしてきました。

ここからは国道18号から外れて、自動車も自転車も入れない登山道を走ります。途中で迷子にならないか心配でしたが、要所に「安政遠足」の案内板があって助かりました。

登山道に入ると最初は6:00/kmぐらいのペースで頑張りましたが、すぐに足がフラフラになり、途中から歩いてしまいました。

こちらは「柱状摂理」と呼ばれるスポット。火成岩が冷却した際に柱状の岩が出来たそうです。

1kmほど進むと比較的平坦な道になりました。熊野神社まであと6.4km。

こちらは座頭ころがし(釜場)と呼ばれる碓氷峠の難所のひとつ。足場が悪くと、ズルっズルっ滑りながら急な坂を歩いて上りました。

10分ほど休憩してから次の難所、山中坂を上ります。

山中坂を上りきったあたりに一軒の別荘らしき建物がありました。その近くに置かれていたのが、このボロいバス。車では上ってこれないこんな辺鄙な場所に、誰がどうやってこのバスを持ってきたのでしょうか。

長い長い坂を上りきると、しばらく平坦な道が続きます。そのまま突き進んでいくと「熊野神社」に到着しました!いやー、長かったですね。でも頑張れた。頑張った。自分に褒めてあげたい。

熊野神社はちょうど群馬県と長野県の県境にあります。

熊野神社の目の前にあるお茶屋さんも、県境にありました。

熊野神社と旧軽井沢エリアを結ぶ通称「赤バス」のルートを走っていきます。すでに峠は越えたので、坂道を下るだけ。

旧軽井沢エリアの端にたどり着くと軽井沢ショー記念礼拝堂の横を通り過ぎます。こちらはアレキサンダー・クロフト・ショーの銅像。明治初期、さびれた宿場町だった軽井沢の魅力をいち早く見抜き、日本有数のリゾート地としての礎を築きいた人物です。

そのまま緩やかな坂を下り、観光客で賑わう軽井沢銀座を通ります。

しばらく走り続けると六本辻と呼ばれるロータリーに差し掛かります。軽井沢駅、国道18号、中軽井沢駅、雲場池などにつながる6つの道路が交差します。昔はこのあたりが軽井沢宿の中心だったそうです。

日本では珍しい、信号のないラウンドアバウト(環状交差点)です。

軽井沢宿から4.5km、中山道19番目の宿場町である沓掛宿に到着しました。今回の旅はここまで。自宅に戻る前に「トンボの湯」で汗を流してきました。

沓掛〜八幡

今回の旅ランでは、中山道19番目の宿場町「沓掛」から、24番目の宿場町「八幡」まで、20kmの道のりを走りました。

  • 出発:沓掛宿(長野県北佐久郡軽井沢町中軽井沢)
  • 終着:八幡宿(長野県佐久市八幡)
  • 走行距離:19.8km
  • 所要時間:約4時間

沓掛

沓掛宿(くつかけしゅく)は、現在の中軽井沢駅のすぐ近く。駅舎はブラックを基調としたシックなデザインです。

国道18号に合流したり離れたりを繰り返しながら西へ進んでいきます。緩やかな坂を上り切ると「標高1003m」と書かれた看板が目に留まりました。海抜0mの東京日本橋から、ずいぶん高いところまで上ってきましたね。

追分

国道18号から脇道に逸れると、追分宿に入ります。道路がきれいに舗装されていて、観光客もちらほら見かけました。

追分宿の一角に佇む「泉洞寺」に寄り道してきました。

こちらは「追分」の地名にもなった北国街道(右)と中山道(左)の分岐点です。

その先には国道18号(右)と旧中山道(左)の分岐点があります。

ちょうど分岐するとことに中山道69次資料館があり、『中山道69次を歩く』の著者であり、資料館の館長でもある岸本豊さんが、15年以上かけて個人的に収集された資料が展示されていました。

中庭では中山道の旅が疑似体験できます。動画を撮影したのでご覧ください。

中山道69次資料館では館長とも仲良くなり、1時間以上も過ごしました。旧中山道に戻ると、急いで次の小田井宿を目指します。

小田井

追分宿から5.0km、中山道21番目の宿場町である小田井宿に到着しました。追分宿に比べると宿場町らしい雰囲気はありませんが、小田井宿跡の看板が立っていました。

県道9号を走り続けると、長野県佐久市に入りました。

こちらは住吉神社。御神木には大きな裂け目があり、大人がすっぽり入るくらいのスペースがあります。

岩村田」

まもなく岩村田宿に入ります。昭和レトロな面影が残る商店街でした。

こちらは商店街の一角にある多目的商業施「つどいの館 中山道岩村田宿 こてさんね」。地元住人の憩いの場となっているそうです。

しばらく住宅地を走ります。途中、庚申塔などの石碑が立ち並ぶエリアを通過。

住宅街を抜けると、黄金色に輝く田んぼが広がります。美しい景色に感動して、しばらく立ち止まってしまいました。

塩名田

小田井宿から5.1km、中山道23番目の宿場町である塩名田宿に到着しました。

塩名田宿は変わった地形をした宿場町です。以下は塩名田宿の観光マップ。左側の川が長野を流れる「千曲川」です。

本陣周辺の建物には、江戸時代の屋号が掲げられています。こちらは「佐野屋」。

一番大きな建物が「問屋本陣」です。

坂を下った先も宿場町が続きます。

いよいよ千曲川を渡ります。

今は鉄橋を通行できますが、昔は以下の写真のような仮説の橋を渡ったそうです。

次の八幡宿までは2.2kmしか離れていません。宿場町の面影はなく、標識だけがありました。

今日の旅ランはここまで。昭和レトロなバス停から千曲バスに乗って佐久平駅へ向かいました。

八幡〜下諏訪

今回の旅ランでは、中山道24番目の宿場町「八幡」から、29番目の宿場町「下諏訪」まで、40kmの道のりを走ります。

  • 出発:八幡宿(長野県佐久市八幡)
  • 終着:下諏訪宿(長野県諏訪郡下諏訪町)
  • 走行距離:40.1km
  • 所要時間:約8時間

八幡

前回、中山道を八幡宿で走り終えてから1年以上もブランクが空いてしまいました。

大宮駅から佐久平駅までは北陸新幹線で向かい、佐久平駅からは千曲バスで八幡宿まで移動します。

まずは、八幡宿の宿名でもある「八幡神社」で旅の安全祈願を行いました。

半袖・半ズボンの格好で走りつもりでしたが、あまりにも寒いので神社の境内で長袖・長ズボンに着替えます。

霧が立ち込める中、旧中山道を南西に向かって走り始めます。車通りはほとんどありません。

宿場町があった場所には、八幡宿本陣跡が残っていました。

足元に目をやると、馬のモチーフのマンホールを見かけました。平安時代には、この辺り一帯に皇室の用馬を育てる牧場があったそうです。

人気のない道を進んでいくと瓜生坂の一里塚を発見。

瓜生坂の一里塚

その先には転がり落ちそうなほど傾斜のきつい瓜生坂がありました。

望月

こちらが望月宿の中心部。のどかですね。

宿場町でひと際目立つ建物が、こちらの「井出野屋旅館」。なんと、あの映画『犬神家の一族』のロケ地として使われたことがあるそうです。

望月宿を後にして、しばらく田舎道を走り続けます。

次の芦田宿へ向かう途中、茂田井間の宿に差し掛かりました。ご丁寧に無料の案内図まであります。

間の宿(あいのしゅく)とは、宿場町の間に設けられた休憩施設のこと。宿場町に格上げしてもらうため望月宿との合弁を試みるも、江戸幕府に却下されるという悲しい過去があったそうです。

しかし街並みは、先ほどの望月宿よりも宿場町らしいですね。

芦田

望月宿から4.8km、中山道26番目の宿場町である芦田宿に到着しました。

こちらは道中にある「ふるさと交流館 芦田宿」。簡易休憩所と資料館を兼ねています。入館料は無料でした。

芦田宿を出ると、緩やかな上り坂が続きます。ここから先が、今回の旅ランの見どころの「笠取峠」です。

笠取峠には約100本の赤松が植栽されており、峠を行き来する旅人たちを楽しませてくれます。

歩道がきれいに整備されていて走りやすかったです。

坂の途中で歩いている初老の男性に声をかけられました。聞けば中山道を歩いて旅しているとのこと。1日に歩く距離は約20km。今日は次の宿場町の長久保宿まで行かれるそうです。

笠取峠の頂上では「峠乃茶屋」が出迎えてくれます。しかしまだ午前10時で準備中でした。

途中から一般道から外れて山道を下ります。本当にこの道で良いのか不安になります。

松尾神社が見えたら、もうすぐ長久保宿です。

長久保

こちらは一福処濱屋。長久保宿歴史資料館として、長久保宿に関する資料が展示されています。

こちらは長久保宿の本陣として使われていた石合家の住宅。町文化財に指定されていますが、個人宅のため一般公開は行なっていません。

旧本陣のすぐ近くには立派な「高札場」がありました。今でいう公共掲示板ですね。

中山道長久保宿 高札場

通常、宿場町は一直線の街道沿いに建物が軒を連ねていますが、長久保は二つの直線が交差する L字型の宿場町でした。こちらが曲がり角のところ。

辺

しばらく国道沿いを走ります。

幹線道路から外れて、田舎道をひたすら進みます。

こんなバス停、見たことありません。

和田

長久保宿から7.9km、中山道28番目の宿場町である和田宿に到着しました。

こちらの建物は「かわちや」という旅籠を再建したもの。現在は歴史の道資料館として、宿場町にまつわる資料を展示しています。

入口には飲み水の無料サービス。有難いですね。

こちらは「和田宿本陣跡」。先ほどの「かわちや」と同様に、中は歴史資料館として使われています。

お蕎麦屋さんでランチ休憩をとった後、次の下諏訪宿を目指して走り始めます。しばらくすると一般道からそれて山道に入ります。

こちらは唐沢一里塚。江戸より51番目の一里塚なので、約200kmほど走ってきた計算になります。

ここから今回の旅ランの最大の難所となる「和田峠」に向かいます。

足場が悪く、傾斜もキツくなりました。トレランシューズじゃないと厳しいですね。

途中、何度も「ビーナスライン」を横断します。ヘアピンカーブでクネクネしているビーナスラインを、旧中山道が横串にしているようなイメージです。

峠に近づくと心肺が付いていけず、200m毎に立ち止まってしまいました。

そして、中山道の最高地点「和田峠」の頂上に到達しました。峠を越えたら、後は坂道を下るだけ。楽勝、と言いたいところですが、転倒しないように注意して走ります。

一里塚を発見。「江戸より五十三里」と書かれています。

しばらく山道を下っていくと、一般道に出ました。ここでも緩やかな下り坂が続きます。

途中、水戸の浪人たちが祀られた史跡を通り過ぎました。

標高1000m。和田峠の頂上が1500mぐらいなので、500mも下りてきたのですね。どうりでさっきから耳の様子がおかしいわけだ…。あくびをすると治るやつです。

こちらは天下の木落し坂。諏訪大社では七年に一度、御柱を入れ替える行事がありますが、そこで使う木材をここから落とすそうです。

今回の旅ランもそろそろ終わりに近づいてきました。ほんの少しだけですが、諏訪湖がチラリと見えました!ゴールは近い。

下諏訪宿に入る前に「諏訪大社春宮」でお参りをしてきました。

下諏訪

和田宿から21.6km、中山道29番目の宿場町である下諏訪宿に到着しました。

中山道で唯一、温泉が湧く宿場町として知られています。甲州街道の終着点でもあり、江戸時代から交通の要所でした。

こちらは下諏訪宿の本陣跡。

最後に「諏訪大社秋宮」をお参りして、無事に完走できたことを報告してきました。

あとは天然温泉にゆっくり浸かって疲れを癒します。

この後、JR下諏訪駅から特急あずさ号に乗って新宿経由で帰宅しました。

おまけ

泊まりがけで一気に走破するのとは違って気楽に走れますが、モチベーションを維持するのが難しかったですね。

街道を旅ランするなら、まとまって休みが取れる時に一気に走るのがおすすめです。

とも

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