どうも!マラソンブロガーのtomo.です。

走っていた場所が、たまたまマラソン大会のコースだった。そんな経験ありませんか?先日、東京の隅田川と荒川の間にある河川敷を走ってきました。千住から岩淵水門へ、信号なしの10kmフラットコース。実はここ、《東京喜多マラソン》のコースでもあるんです。

《東京喜多マラソン》と聞いてピンと来る方は、東京北部〜埼玉南部在住のランナー、あるいは百戦錬磨のベテランランナーのいずれかだと思います。(違ったらすみません…。ちなみにぼくは前者です)

毎年1月と6月に二回、東京の北(喜多)の荒川河川敷で開催されるマラソン大会が《東京喜多マラソン》です。埼玉のランナーとしてはギリギリ「近所」と言える場所。種目は5km、10km、ハーフ、フルとありますが、6月のフルは暑さで途中棄権者が続出することで有名です。

先日、浅草から埼玉まで帰る途中に、たまたま《東京喜多マラソン》のコースを走りました。地図で見ると、隅田川と荒川の間の河川敷エリア、まるで「獲物を飲み込んだヘビ」のような細長い地形となっています。


千住エリア

まずは「千住大橋」で隅田川を渡り、河川敷のある「千住新橋」を目指します。浅草〜千住大橋までは「隅田川テラス」を走って来ました。

千住大橋を渡り切ると、いきなりすごいものを発見!

奥の細道 矢立初めの地」と書かれた石碑が建っています。

松尾芭蕉「奥の細道」600里の旅の始まりの句を詠んだといわれている場所(矢立初めの地)に建てられた記念碑(千住大橋公園内)。松尾芭蕉は1689年(元禄2)年3月に弟子の曾良を伴って深川(江東区)から船で遡上して千住(足立区)に降り立ち、陸奥へと旅立ちました。芭蕉の俳文紀行「奥の細道」には、「千じゆと云所にて船をあがれば前途三千里のおもひ胸にふさがりて幻のちまたに別離の泪をそゝく」「行春や鳥啼魚の目は泪」と旅立ちの地である千住の情景が記されています。(引用元

旅の始まりにはもってこいの場所です。

しばらく繁華街を走り続けると「千住新橋」に到着。目の前には、広々とした荒川河川敷が広がります。荒川河川敷といえば、野球少年。この日もたくさんいましたよ。

荒川河川敷

さて、ここからは荒川河川敷を北東(赤羽方面)へ向かいます。土手の下にある「河川敷緊急避難道路」を走りますが、もちろん土手の上も走れます。

緊急避難道路ということで自動車は通りませんが、自転車はビュンビュン行き来しているので、走るときは要注意です。

所どころにトイレと水飲み場があるので、長距離でも安心して走れます。

この日は日曜日の午後。ランナーよりも自転車が多いですね。

あと、写真を見てわかると思いますが、360度直射日光にさらされます。これは夏だと辛いでしょうね…。6月の《東京喜多マラソン》で途中棄権者が多いのもうなづけます。

走っていると橋を何本も通過します。こちらは「江北橋」。《東京喜多マラソン》のスタート地点ですね。

こちらは「鹿浜橋」。このように地面に大きな白文字で書いてあるのが特徴です。

なんと、ゴルフ場もありました!都心に最も近く、リーズナブルな料金でゴルフが楽しめる「新東京都民ゴルフ場」です。

そろそろ「岩淵水門」に近づいて来ました。

岩淵水門

こちらにもデカデカとした文字で「岩淵水門」と書かれています。

巨大な鉄門を3つも擁する水門です。

ここはちょうど隅田川と荒川が交わる場所です。


隅田川をせき止めるのが岩淵水門の役割。増水時に水門を閉じることで、川の流れを荒川へ誘導し、隅田川の氾濫を防ぎます。

実は「岩渕水門」は2つあります。上のブルーのほうが現役の岩淵水門。下の赤いほうが旧岩淵水門です。

旧岩淵水門は荒川放水路ができたときに、放水路と旧河道(隅田川)との分派点に設けられ、隅田川に荒川の洪水が流入するのを制限していました。その後、施設の老朽化が進行したこと、昭和48年に荒川の基本計画が改訂されたことに伴い、水門の高さの不足が生じたことから、全面改築されることとなり新しい岩淵水門がつくられました。(引用元

岩淵水門の周辺では、日光浴やピクニック、川釣りを楽しむ人たちで賑わっていました。

荒川岩淵関緑地バーベキュー場も混雑していました。都心からのアクセスも良く、広々とした水辺でバーベキューが楽しめるのはいいですね。

荒川知水資料館

旧岩淵水門の近くにある「荒川知水資料館」をのぞいてきました。荒川放水路の歴史としくみが学べる資料館です。入館料は無料。

荒川知水資料館
〒115-0042 東京都北区志茂5丁目41−1
03-3902-2271


まず、こちらをご覧ください。明治時代の千住方面の写真です。

昭和初期までは、ちょうど岩淵水門のあたりで荒川は今の隅田川の流路に流れていました。

つまり、ここから下流は2つの川の水がドッと流れてくるわけです。このため、千住などの隅田川沿いの低地は、数々の浸水被害に悩まされてきました。

浸水被害を回避するために作られたのが、全長22kmに及ぶ「荒川放水路」。岩淵水門から荒川を分岐させ、東京湾へ繋げる一大プロジェクトです。今の荒川下流域は、人間や機械が掘って作った人工の放水路だったのですね。

こんな感じで土砂を運び出したそうです。その量は2180万m3。南米と北米を横断するパナマ運河の土砂の量は18377万m3なので「荒川放水路」がいかにビッグプロジェクトだったかがわかります。

荒川放水路ができたことにより、洪水時は門を閉じて隅田川の氾濫を抑えることができるようになりました。

さいごに、余談ですが

以上、千住から岩淵水門までの道のりを紹介しました。

もうすぐ6月の《東京喜多マラソン》ですね。参加される方は水分補給にくれぐれも注意して、レースを楽しんでください!