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【日光街道でランニング】日本橋〜東照宮140kmを4日間で走ってみた

【日光街道でランニング】日本橋〜東照宮140kmを4日間で走ってみた

2021年6月に東京〜日光を結ぶ「日光街道」を旅ランしてきました。

東京都・日本橋から栃木県・日光東照宮まで140kmの区間を4日間で走破するプラン。

道中には21の宿場町をはじめ、国指定名勝の「草加松原」や世界一の並木道「日光杉並木街道」など見どころが満載です。

当ブログでは広告を利用していますが、紹介するランニングアイテムはすべて自費で購入し、忖度なしでレビューしています。

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目次と内容

日光街道とは?

日光街道は、江戸(現・東京都日本橋)と日光東照宮(現・栃木県日光市)を結ぶ歴史街道です。約140kmの道中には21の宿場が置かれていました。

現在は東京〜宇都宮区間は国道4号、宇都宮〜日光区間は国道119号を日光街道と呼びますが、江戸時代の旅人が行き来したルートは必ずしも国道とは必ずしも一致せず、「旧日光街道」と区別されています。

今回の旅ランでは、旧日光街道を忠実に走るために『ちゃんと歩ける日光街道・奥州街道 日光道中二十一次』を参考にしました。歴史街道をウォーキング、ランニング、サイクリングする人たちにとってはバイブルのようなシリーズ本です。

日光街道の宿場町は以下のとおり。

距離最寄駅
日本橋東京駅
千住8.8km北千住駅
草加9.7km草加駅
越ヶ谷9.0km北越谷駅
粕壁(春日部)10.0km春日部駅
杉戸6.6km東武動物公園駅
幸手5.8km幸手駅
栗橋8.3km栗橋駅
中田1.6km栗橋駅
古河5.8km古河駅
野木2.7km野木駅
間々田6.7km間々田駅
小山7.4km小山駅
新田5.7km小金井駅
小金井2.6km小金井駅
石橋7.2km石橋駅
雀宮6.6km雀宮駅
宇都宮7.9km宇都宮駅
徳次郎10.5km宇都宮駅
大沢9.6km下野大沢駅
今市7.4km下今市駅・今市駅
鉢石8.5km東武日光駅・日光駅

日本橋から宇都宮までは奥州街道と同じルートを共有します。日光街道は宇都宮から日光東照宮を目指して北西へ進むのに対し、奥州街道は白河を目指して北東に進みます。

日光街道は見どころが多くありますが、代表的なものを4つ紹介します。

  • 浅草雷門
  • 草加松原
  • 利根川横断
  • 日光杉並木街道

浅草雷門

日光街道が雷門の前を通るとは知りませんでした。時間に余裕があれば浅草寺でお参りをしたいですね。

草加松原

草加宿の先、綾瀬川沿いに約1.5kmの草加松原遊歩道が整備されています。かつて松尾芭蕉が「奥の細道」の旅に出たときに通ったルートでもあります。

利根川横断

栗橋宿(埼玉県)と中田宿(茨城県)の境に流れる一級河川。そのスケールの大きさに感動しました。

日光杉並木街道

そもそも日光街道を走りたいと思ったきっかけがこれ。宇都宮宿〜鉢石宿の区間にかけて続く「日光杉並木街道」は、世界一長い並木道としてギネスブックにも掲載されています。

特に大沢宿〜鉢石宿区間は樹齢数百年の杉がびっしりと並び、まるで時空を超えて旅をしているかのような感覚に陥ります。

旅ランの日程

今回は4日間に分けて日光街道140kmの道のりを走ります。区間は以下のとおり。

  • 日本橋〜春日部(38km)
  • 春日部〜小山(39km)
  • 小山〜宇都宮(31km)
  • 宇都宮〜鉢石(36km)

距離的には1日40km以内に収まるので、4日間連続でフルマラソンを走るのと同じです。

春日部、小山、宇都宮はいずれもターミナル駅なので電車で行き来しやすいため、1日目と2日目は自宅に帰宅し、3日目だけ現地のホテルに泊まります。

荷物はサロモンのランニングバッグ「AGILE 2」に詰め込みます。

1日目:日本橋〜春日部

初日は日本橋宿を出発し、千住宿、草加宿、越ヶ谷宿を経て、春日部宿まで38kmの道のり(ガーミン実測値は34km)を走ります。天気は曇り時々雨、最高気温は27℃。

早朝に自宅から東京・日本橋まで電車で移動し、日光街道の起点である「道路元標」から走り始めました。

日本橋

以下は東京都中央区日本橋室町にある「道路元標」。東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の江戸五街道はここを起点としています。

ここから日本橋三越に向かって走り始め、日本橋三井タワーの先の交差点を右折すると「旧日光街道」に入ります。

一般的にいう「日光街道」は東京〜宇都宮は国道4号、宇都宮〜日光は国道119号を指しますが、必ずしも昔の日光街道と同じルートではありません。今回は江戸時代の旅人が行き来した「旧日光街道」を忠実に走ります。

馬喰町を通り過ぎると神田川に差し掛かります。

そのまま江戸通りを北上して浅草を目指します。この辺りは信号が多く、走っているよりも信号待ちで立ち止まっているほうが多かったです。1時間で5kmしか進めていません。

気づいたら浅草雷門にたどり着きました。旧日光街道は雷門の前を右折します。

するとスカイツリーとアサヒビールの本社ビルが見えました。コロナの影響なのか、普段は観光客で賑わう浅草駅前は閑散としています。

浅草から都道464号を北上すると、「泪橋」の交差点で台東区から荒川区に入ります。江戸時代に、この先にあった「小塚原刑場」に連れて行かれる罪人と家族がここで別れたことから「泪橋」という名前が付いたとのこと。

泪橋の先は南千住駅。遊歩道を通り、駅の反対側へ。

遊歩道のすぐ先に「小塚原回向院」の入口があります。ここはかつて「小塚原刑場」があった場所です。

小塚原刑場は、鈴ヶ森刑場(現・品川区)と大和田刑場(現・八王子市)と並ぶ江戸の「三大刑場」のひとつ。蘭学者の杉田玄白が解剖を行なった場所でもあり、敷地内には記念碑がありました。

著名人の墓もあります。こちらは吉田松陰のお墓。

小塚原刑場を後にして走り続けると国道4号に合流し、まもなく「千住大橋」を渡ります。

千住大橋を渡った先は「おくのほそ道 旅立ちの地」として知られています。松尾芭蕉が旅した「奥の細道」の一部は旧日光街道と重なり、千住宿や草加宿の周辺では松尾芭蕉の記念碑をよく見かけました。

千住宿

千住宿の入口には石造りの道標が立っており、進行方向手前が「日本橋」、先が「草加宿」と記されています。

「千住ほんちょう商店街」の交差点は、かつて千住宿の本陣があった場所。ちなみに左の建物の入口に立つ銅像は松尾芭蕉です。

とそこで、急に雨が降り出したので、Onの「Waterproof Anorak」を着用。写真は千住本町公園内の高札場前にて撮影しました。

千住宿を後にして、千住新橋を通って荒川を渡ります。「日本橋から9km」の道標を見かけました。

千住新橋を渡ると足立区に入ります。電柱に「旧日光街道」と書いてあるのがちょっと嬉しい。次第に雨が弱まってきたので「Waterproof Anorak」を脱ぎ、ランニングパンツのポケットに押し込みました。

しばらく走り続けると、埼玉県草加市に入ります。

草加宿

以下は草加宿の清水本陣跡の記念碑。本陣の建物はなく、今はマンションが建っています。

宿場町の外れに「神明庵」という古民家を見つけました。地元の観光案内スポットとして、誰でも無料で利用できます。日光街道の宿場町で販売している「御宿場印」はここで買えます。

こちらは「草加せんべい発祥の地」の記念碑。草加といえばやっぱり煎餅のイメージが強いですよね。

綾瀬川沿いにある「札場河岸公園」でまたまた松尾芭蕉を見かけました。ここから「草加松原」です。

草加松原は国指定の名勝。綾瀬川沿いに1.5kmほど松並木が続きます。

草加松原の一角に「ドナルド・キーン記念植樹」がある。キーン氏はアメリカ出身の日本文学研究者で、松尾芭蕉の『奥の細道』を翻訳書が有名。英語名は『The Narrow Road to Oku』。

草加松原は歩道橋で結ばれているため、ノンストップで走り続けられます。アップダウンの良い練習にもなりそう。

街道沿いには一里(約4km)毎に「一里塚」が置かれていましたが、綾瀬川沿いには「蒲生の一里塚」が今でも残っています。埼玉県内の日光街道沿いに残る唯一の一里塚とのこと。

埼玉県指定史跡でもあります。

ちょうどベンチがあったので、ここで休憩しました。近くのセブンイレブンでエナジーゼリーとアイスとスポーツドリンクを調達し、一里塚の前でボーッと過ごしました。

日本橋を出発してから18km。正午を過ぎているのに、まだ半分の距離しか走れていません。

越ヶ谷宿

越ヶ谷宿には宿場町の目印になるものは見当たりませんでした。写真は北越谷駅前。

ひたすら国道4号を走り続けます。せんげん台駅前まで来ると、「日本橋から30km」を道標を発見。初日の目的地である春日部宿まであと少し。

まもなく春日部市に突入。

春日部宿

人気アニメ「クレヨンしんちゃん」で知られる春日部は、江戸時代は宿場町として賑わっていました。昔は「粕壁」と書いたらしいですね。

途中で国道4号から外れて、春日部駅方面へ向かいます。駅から300mほど離れた場所に日光道中粕壁宿の案内板がありました。

今日はここまで。

走り終えた後は、「春日部温泉 湯楽の里」で汗を流し、電車でさいたま市の自宅に戻りました。

2日目:春日部〜小山

2日目は春日部宿を出発し、杉戸宿、幸手宿、栗橋宿、中田宿、古河宿、野木宿、間々田宿を経て、小山宿まで39kmの道のり(ガーミン実測値は40km)を走ります。天気は曇り、最高気温は27℃。

前日は走り終えてから帰宅したため、早朝に再び自宅から春日部駅まで戻りました。8時に春日部宿を出発。古利根川を渡って杉戸宿を目指します。

再び国道4号に合流。

写真右は国道4号で、左の脇道が旧日光街道。国道4号を走り続けても問題ありませんが、一応、昔の旅人が行き来したルートを忠実に走りたいと思います。

杉戸宿

まもなく杉戸宿に到着。写真は「角穀跡」と呼ばれる古民家でかつての米問屋だったそうです。

杉戸宿の道標を見つけたので記念撮影。

春日部市から幸手市へ。幸手は(さって)と読みます。

首都圏をぐるりと囲む「圏央道」が見えてきました。ずいぶん遠くまで来ましたね。

東武日光線の踏切を何度か横断します。

幸手宿

再び市街地に入ると幸手宿にたどり着きました。

こちらは宿場町の中心地にある幸手宿の案内板。最盛期には千軒近くもの家が軒を連ねていたとのこと。

幸手宿を後にすると、右手に「幸手権現堂」が見えました。ここは埼玉県有数のお花見のスポットとして知られており、春には「幸手さくらマラソン」が開催されます。2019年に10マイルの部に参加しましたが、幸手権現堂の桜回廊には圧倒されました。

幸手権現堂を過ぎると景色が一変しました。目の前を田んぼが広がります。その奥にh東武日光線の電車が見えました。もしかしてここは鉄道写真の有名スポットなのでしょうか。

しばらく国道4号が車道のみとなるので、横の小道をひたすら走り続けます。この辺りで埼玉県幸手市から久喜市に入ります。

春日部以南に比べてコンビニの出現回数が減りました。コンビニはエイド補充やトイレ休憩の重要な拠点なので、コンビニがないと困ります。

スポーツドリンクが底をついてしまったので、しかたなく自販機で購入。コンビニは電子マネーが使えますが、自販機は現金で釣り銭が出るのが嫌なんですよね……。走っているとジャラジャラしますし、重ですし。

栗橋宿

栗橋宿を通過すると間もなく利根川です。

宿場町の外れまで来ると、利根川の土手が見えました。

こちらが利根川。さすがにスケールが大きいですね。

利根川を越えたら栃木県!と思ったら、茨城県でした。ここから茨城県古河市に入ります。

中田宿

利根川を挟んで、栗橋宿の対岸にあるのが中田宿。宿間の距離は1.6kmしかなく、この2つの宿は「合宿」と呼ばれ、ペアで機能していました。昔は川を渡るだけでも一苦労だったのですね。

茨城県の県道228号をひたすら走り続けます。

JR東北本線の踏切を超えると「中田の松原」と呼ばれる松並木の道が続きます。といっても、江戸時代の松並木は大昔に伐採されてしまい、今あるのは近年植樹されたもの。

古河宿

ようやく古河宿までたどり着きました。宿場町の入口では古風な看板が出迎えてくれました。

古河宿は宿場町を盛り上げようとする姿勢が見れとれて、道中の至る所に案内板が置かれています。

脇道に逸れる時も、ちゃんと旧日光街道の進路を教えてくれます。

野木宿

再び国道4号に合流してひたすら北上し続けます。日本橋から64kmあたりが野木宿のあった場所。ちなみに野木はもう栃木県。いつの間にか茨城県から越境していました。

案内板を発見。野木宿は比較的小規模な宿場町だったようで、当時の面影を感じるものは見当たりません

こちらは民家の一角にある野木の一里塚跡。江戸より17番目(17里、1里約4km)の一里塚なので、距離にすると68kmでしょうか。

国道4号の距離表示はそれよりも短いですね。ちなみにこの辺りは何故か100m間隔で道標が設置されていました。

間々田宿

東京から70km。

日本橋から11番目の宿場町、間々田宿に到着しました。

こちらは住宅街の真ん中に立つ「間々田八幡宮」の鳥居です。

日光街道沿いには古いお寺や神社が数多く残っていますが、時間に余裕がないため、やむなくスルーします。

旅ランを計画する時は、現地での観光時間も加味すべきでした。この日は春日部〜小山区間約40kmを6時間で走り切る必要があるため、寄り道する時間はありません。

なぜ6時間かというと、14時までに小山駅に着いて自宅に戻り、娘たちの習い事の送迎をしないと行けないから。 旅ランくらいのんびり走りたいと思う反面、締切があるとメリハリを持って走れます。

小山宿

間々田宿から小山宿までの距離は8km弱ありますが「締切」のおかげであっという間に完走。しかも予定よりも30分早く到着しました。

今日はここまで。4日間のうち最長区間を無事に走り終えてひと安心。

走り終えた後は小山駅の近くにある「幸の湯」で汗を流すつもりが、15時半から営業でしかも金曜日は定休日とのこと。しかたなく小山駅のトイレで着替えを済ませて、新幹線に乗って帰宅しました。

東北新幹線の停車駅でもある小山駅は大宮から1駅約15分でアクセスできます。コロナ禍での移住先としても人気があるらしいですね。

3日目:小山〜宇都宮

3日目は小山宿を出発し、新田宿、小金井宿、石橋宿、雀宮宿を経て、宇都宮宿まで30kmの道のり(ガーミン実測値は27km)を走ります。天気は晴れ、最高気温は28℃。

早朝に自宅から小山駅まで電車で移動して、小山宿から走り始めます。

宇都宮までは基本的に国道4号を北上しますが、旧日光街道は所々で脇道に外れます。

時折「本当にこの道でいいのかな。。」と不安になりますが、一里塚を見かけるとホッとします。こちらは日本橋から21番目の一里塚である「喜沢の一里塚」。

新田宿

小山から6km弱で新田宿にたどり着きました。「にった」ではなく、「しんでん」と読みます。日差しが強くなり、熱中症が心配になるレベルの蒸し暑さです。

こちらは「羽川薬師堂」。旧日光街道から歩いて1分の場所にあるので寄り道してみました。

またまた脇道に外れて、今度は住宅街に入ります。

小金井宿

住宅街を抜けて国道4号に合流すると、何やら立派な大木が見えました。近づいてみると「小金井一里塚」でした。

日本橋から22番目の一里塚なので、先ほど見た「喜沢の一里塚」から4kmほど走ってきた計算になります。日本橋からは88km。

こちらは小金井宿の本陣跡。玄関だけ残っていました。外壁はこの辺りで採れる大谷石でしょうか。

石橋宿

次の石橋宿では記憶があまり残っていません。暑さのせいで頭が朦朧としていました。写真はJR石橋駅前通りの写真。こんなとこで撮影したかな……と記憶が曖昧です。

過去に熱中症にかかりかけた経験があるので、その恐ろしさは理解しているつもりです。

とにかく深部体温の上昇を抑えることが大事なので、道中のマクドナルドで早めの休憩を取りました。クーラーの効いた店内でマックシェイクを飲むと、一気に生き返りました。この後も別のマクドナルドでマックシェイクを飲みました。

国道4号を走り続けると、いつの間にか宇都宮市に入っていました。

こちらは宇都宮駐屯地。日光街道沿いに玄関口があります。

雀宮宿

国道4号でウォーキングに勤しむ集団を発見。もしかして日光街道を歩いていのではと思ったら、先導役の男性が「そこの交差点が、すずめのみやの宿場町があったところです」と案内していました。

雀宮宿の少し先に「日本橋から100km」の道標を発見。ひとつのマイルストーンを越えました。

宇都宮に近づくにつれて道路の幅が広くなります。「日光まで31km」という標識を目にしましたが、これは日光市までの距離なので、日光街道終点の鉢石までは後40kmほどあります。

ここで国道4号(写真右)と国道119号(写真左)に分岐します。ここからは国道119号が日光街道です。

分岐点には「不動堂」があり、江戸から来る旅人にとってこの不動堂は宇都宮に入る目印だったそうです。

こちらは宇都宮出身の偉人、蒲生君平氏の記念碑。といってもピンと来ないですよね。誰だろう。

宇都宮宿

なぜかラスト2kmは異様に長く感じました。ちょうど宇都宮裁判所の辺りが宇都宮宿の中心だった場所。3日目も無事に走り終えることができました。

その後、空腹を満たすために近くで餃子のお店を探しました。宇都宮といえば餃子。やはり餃子を食べなくては。行き着いたのは、手作り餃子の店「餃子のバリス」。厚皮でパリパリとモチモチが同時に楽しめる不思議な食感の肉餃子をいただき、身も心も満たされました。

4日目:宇都宮〜鉢石

最終は宇都宮宿を出発し、徳次郎宿、大沢宿、今市宿を経て、日光東照宮の玄関口である鉢石宿まで36kmの道のり(ガーミン実測値は32km)を走ります。天気は晴れ時々曇り、最高気温は26℃。

前日は宇都宮のビジネスホテルに泊まりました。朝6時半に朝食を食べて、7時半に宇都宮宿を出発します。天気予報では降水確率100%でしたが、雨が降る気配はなく、むしろ日差しが強くなり熱中症が心配でした。

国道119号をしばらく走り続けると「世界遺産 日光の社寺」の標識が目に留まりました。

すると道路の両脇に杉並木が姿を現します。

ただし杉並木は日光東照宮までずっと続いているわけではありません。

こちらは宇都宮動物園のあたりの杉並木。

近くには日本橋から29里目の一里塚である「高谷林の一里塚」があります。

昼頃には日光東照宮に到着したいので、ここから少しペースアップして着実に距離を稼いでいきました。

徳次郎宿

徳次郎宿は宇都宮宿から10kmも離れており、下・中・上の3宿で1宿となっています。以下は下徳次郎宿跡の金井邸。

中徳次郎宿跡。

中徳次郎宿の先でケヤキの大木が目に留まりました。

こちらは徳次郎智賀都神社の御神木。樹高約40m、推定樹齢700年の神レベルのケヤキです。

上徳次郎宿跡を通過。

早くも30番目の一里塚「石那田の一里塚」を通過します。日本橋から120km近く走ってきました。日光東照宮まであと20km。

そしていよいよ日光市に突入します。

大沢宿

大沢宿から終点の鉢石宿までは約16kmほどの道のりです。日光杉並木街道を走るなら、この区間がおすすめです。

大沢宿近くに日光杉並木の入口があります。杉並木の中は、まるで神社の境内のように空気がピンと張り詰めています。

この辺りは杉並木を保護するために自動車は進入できず、歩行者と自転車だけが通行を許されています。

「国道119号」の標識があっても車が来ないので安心して走れます。

日光杉並木街道は幹線道路を縫うような形で伸びています。こうして時折車道に出ては、再び杉並木街道に戻ります。その繰り返し。

水流の音がするのでよく見ると、杉並木の両側には水が流れていました。手を入れてみるとひんやりと冷たい。

なお、以下は日光杉並木街道を走りながら撮影した動画です。

日光杉並木は手入れが大変そう。時折、台風や強風で倒れた残骸を目にします。

切り株の大きさは規格外サイズですね。

「日光杉並木街道は、我が国で唯一、国の特別史跡・特別天然記念物の二重指定を受けた貴重な文化遺産です。」と書かれた案内板を発見。セブン・イレブン記念財団が支援しているそうです。

今市宿

一旦、杉並木を抜けると今市宿にたどり着きます。すると「報徳二宮神社参道入口」の標識を発見。「報徳二宮」といえば二宮尊徳(金次郎)ですが、なぜ今市に?と気になり、寄り道してきました。こちらは二宮尊徳を祀った神社なんですね。

境内にはお馴染みの二宮金次郎像と二宮尊徳の墓があります。

今市は二宮尊徳が余生を過ごした場所なのだそうです。

宿場町を抜けると、再び日光杉並木街道が姿を現しました。

日光杉並木街道は1625年から20年の歳月をかけて植樹され、当時植えられた杉の数は5万本と言われています。

今では1万2千2百本までに減ってしまいましたが、日光街道・日光例幣使街道・会津西街道の3街道の杉並木を合わせると30kmを超え、「世界で最も長い並木道」としてギネスブックに登録されています。

この近の杉並木公園の園内に「朝鮮通信使の今市客館跡」がありました。江戸時代に日本を訪れた朝鮮通信使が日光参拝の際に滞在した場所とのこと。

杉並木の中は何とも神秘的ですね。まるで時空を超えて旅をしているかのようです。

個人的には「日光だいや川公園」付近の杉並木の景観が一番気に入りました。今回の旅ランでベストショットを一枚選ぶとしたら、間違いなくこの写真ですね。

ちなみに場所はこの辺り。

「砲弾打込杉」という変わった杉を発見。これは戊辰戦争の時、官軍が幕府軍を攻撃した際に砲弾が当たったらしいです。

幹の凹んだ所とあるので、多分この場所でしょうか。

この辺りの杉には一本一本に表札が付いています。調べてみると。スポンサーという形で杉のオーナーになれます。

「杉並木オーナー制度」というものがあり、1本につき1000万円を栃木県に預ける仕組み。契約を解除すればお金は戻ってきます。県は預かったお金の運用益を保全活動に充てるわけですが、長引く低金利で運用益が減っているとのこと。

さらに契約数も増えていないため、運用は厳しそうです。

杉並木は日光東照宮に近づくと石畳で整備されています。この辺りの雰囲気もなかなか良いですね。

東武日光線の電車を見かけるようになると、日光東照宮の玄関口である東武日光駅はすぐそこ。

しばらく走り続けると東武日光駅の三角屋根の駅舎が見えてきました。

鉢石宿

いよいよ日光街道の旅ランも終盤です。東武日光駅から緩やかな上り坂を駆け抜けていきます。

オレンジ屋根の金谷ベーカリーが見えると、ゴールはすぐそこ。

終点の「神橋」の前で記念撮影をして旅ランの幕を下ろしました。

ついでに世界遺産の石碑の前でも記念撮影。

日光東照宮

到着時間は正午過ぎ。予定よりも早く走り終えることができたので、近くの旅館「日光星の宿」で湯葉御膳ランチをいただきました。日帰り入浴も付いたプランなので、お風呂で汗を流してきました。

せっかく日光東照宮まで来たのに、このまま帰るのはもったいない。疲れていましたが、とりあえず「見ざる・聞かざる・言わざる」だけ拝んで帰ろうかと東照宮に足を踏み入れました。

すると「眠り猫」も見ておこうという気になり、結局、徳川家康が埋葬されている頂上の「神廟」まで往復してきました。30km以上走った割には、意外と元気でした。

4日間の日光街道旅ランはこれにて終了。こんな感じで毎年2〜3回は泊まりがけの旅ランをやっているので、興味があれば、ぜひ他の旅ランのレポートも読んで下さい。

おまけ

最後に、今回の旅ランで使用したランニングアイテムを紹介します。

  • ランニングキャップ(On Lightweight Cap)
  • サングラス
  • ビニール袋
  • 給水ボトル(サロモン ソフトフラスク 500ml)
  • マスク
  • アクションカメラ(Insta360 GO 2)
  • モバイルバッテリー・充電器(Anker PowerCore III Fusion 5000)
  • ガーミンウォッチ(fenix 6X)
  • 日焼け止めクリーム
  • 手ぬぐい
  • ランニングTシャツ(マラソン大会参加賞)
  • ハーフパンツ(サロモン XA 7インチ SHORT)
  • ロングパンツ(パタゴニア ストライダー・プロ・パンツ)
  • アンダーウェア(On Hybrid Shortsのインナー)
  • レインウェア(On Waterproof Anorak)

荷物はサロモンの軽量(2L)ランニングバッグ「AGILE 2 SET」に詰め込み、入り切らないものは同じくサロモンのハーフパンツ「XA 7インチ SHORT」の収納ポケットに収納しました。

ランニングシューズは、2021年6月に発売されたばかりのホカの「クリフトン8」を着用しました。

マシュマロのように柔らかいクッションが着地の衝撃から守ってくれるので、140km走っても脚が痛むことはなく、疲労も最小限に抑えることができました。

最後までお読みいただき有難うございます。この記事はマラソンブロガーのtomo.が書きました。当ブログでは紹介するランニングアイテムはすべて自費で購入し、忖度なしでレビューしています。